バレン・シャーの人物像とネパール第一主義のアジェンダ
2026年3月ネパール総選挙で勝利した元ラッパーのバレン・シャー首相(35)は「政党による国民への裏切りに決着を付ける時が来た」と宣言。汚職追及と自立型経済への転換を急ぐ大胆な改革案を発表し、K.P.シャルマ・オリ前首相を去年の反政府デモを弾圧した容疑で逮捕。その鋭い政策と実行スピードの速さに国民の期待が高まっている。元ラッパーと言う経歴だけでなく、ネパール政界のパターンになっていた「親中」か「親インド」に傾倒せず、ネパール第一主義(プロネパール)を掲げる点や、従来パハディ(丘陵出身)がマデシ(平原出身)より政治的優位にある中で史上初のマデシ首相となった点など新鮮さもある。去年の反政府デモで腐敗政治が打破された勢いに乗じ、ネパールのために思い存分尽くす使命を得たバレン陣営は清々しい顔をしている。本記事は2026年4月現在のバレン・シャーの政治改革の現状を解説する。ソースは記事最後部に記述。
バレン・シャーの人物像
- 元ラッパーであり建築物の構造エンジニア。ラッパー時代はインターネットで汚職や社会構造の欠陥などを批判する政治的な内容の歌を出し人気を集めた。構造エンジニアという効率的で論理的に思考する一面と、不満を言うだけでなくラッパーと言う形で社会に身を張って問いかける実践的なキャラクターというわけだ。
- 元カトマンズ市長。カトマンズ市長に選出されてからは都市環境改善を徹底し支持を集めた。強硬手段を取ることも度々あり賛否両論あるが、停滞したネパールの政治には彼の破壊力が必要とされている側面もある。
- 現ネパール首相。本ブログでも過去に紹介した不屈のジャーナリスト、ラビー・ラミチャンネが創設したラシュトリヤ・スワタントラ党(RSP=国民独立党)のシニアリーダーとして現ネパール首相に就任。鉄は熱いうちに打てとばかりにスピード感のある改革で勢いを緩めず、オリガーキー(寡頭制)のようになった腐敗体質に対する大規模な強制捜査で汚職一掃を開始。
バレン・シャーは選挙時、『ナガリック・カラル(国民との契約)』を発表。内容は、もし自分たちもこれまでの政党と同じように公約を空約にしマニフェストを実行しないのであれば、国民はすぐにリコールしてくれ、と宣言。すなわち、国民によって解職させられるか辞任するかの何れかで身を引くことを約束。しかも、オンラインでマニフェストの進捗状況を国民がモニタリングできるようにした背水の陣っぷり。まず自らが行動で公正かつ誠実に公約を履行する姿勢を示している。このような姿勢は、純朴な人が多いネパールに、国民こそが主役であるという思考を喚起にも繋がる。国民が政治を監視する習慣を付けることで、オリガーキー政治予防にもなるだろう。
更に、ネパールを代表する立場になった今、過去何世紀も横行したダリット差別という不正義を認め公式に謝罪することも決定。ネパールの心を一つにまとめようとしている。彼が率いるチームには元世界銀行上級エコノミストのスワルニム・ワグレ、行政改革ベテランのシシ・カナール、非居住ネパール人協会元会長クマール・パント、などがいる。
彼の政策の共通点は:透明性を義務化、期限付き、さもなくば平等に情け容赦無くペナルティの強制執行である。自らにもペナルティを課すストイックさは大したものと認めねばならない。
議論を呼んだバレン・シャーの出自
ネパールではバレンの出自が話題になった。多くの新聞はバレン・シャーの苗字(Shah)はパハディ(丘陵出身)のタクリ族のシャー(Shah)ではなく、マデシ(平原出身)のテリ族のサハ(Sah)であったと指摘した。実際、彼の家族も全員Sahで名前を登録していて、彼だけが名字を書き換えたとのこと。実際バレン・シャーはタライ平原で多く使われるマイティリ語の話者であり、タライ平原での演説では集まった支持者の前で自身のことをマデシの息子と表現したことも話題になった。しかし、バレン・シャーはマデシの息子であるが、特定のカーストや地域の代表ではなくネパールの代表として活動することを明言。この鮮明なメッセージを国民は歓迎し、パハディ(丘陵出身)からもマデシ(平原出身)からも支持されている政治家であり、スピードとインパクトあるスタートを見せたこともあり今後の手腕発揮も実に興味深いところである。
ネパール第一主義(プロ・ネパール)のアピールポイント
外交: ネパールの主権保護
中国とインドのどちらかにべったりの外交関係を整理しネパールの主権を守ることをアピールしている。例えば中国の協力による天然ガス発見により、インドからの天然ガスに100%依存する状態からの脱却を模索する一方で、ネパール東部インド国境付近での中国ネパール友好工業団地(一帯一路の融資)は白紙に戻した。インドと中国から圧力がかからないよう、バランスを取りながら主権を守る政策
また、外国への経済依存を減らすため、特に中国との合同調査で発見したネパールの天然資源の在り方に着目しており、水力発電や天然ガスなどを外交に利用することを戦略に掲げている。それと並行し、過去に結ばれた外国との不平等・或いは不透明な合意なども「国家への裏切り」と見なして調査するとしている。
内政: 自立型経済の種まき
特定の国に過度に依存したり、利権に依存しない自立型経済構造を整えることをアピールしている。そのための100項目の改革案を発表。各分野をデジタル化で一元管理化や、農業改革、物流のモニタリング強化案などが目立つ。
国家の自立を促進するために、国内では農業を守る法整備と設備投資、それに並行して輸入品目の関税見直しによって国内生産品が価格競争に勝てる環境を作る、ベンチャー企業が迅速に活動できる法改革、経済活動に関わる行政手続きや納税をオンライン化することで行政期間の窓口で発生していた賄賂や遅延の発生や脱税を未然防止、など無駄が多いシステムや汚職を排除する改革案が多く、さらに海外出稼ぎは依然としてネパール経済の大きな収入源であるが、若者に国内に留まる選択肢も持てるようにするべく国内に健全な雇用を創出することを目標としている。海外に行った人材もネパールにビジネスアイデアを持ち帰りやすい環境を作る。また、オンラインビジネスにより世界中にアプローチできるIT産業にも着目することで就業機会を増やすことを模索。国内経済発展の足かせになっていた無駄に長い手続きや賄賂を断ち切れば、一人一人が商売しやすくなり、モチベーションは高まるだろう。
アジェンダ『100項目の政治・経済改革案』
バレン・シャーは首相就任すると、政治経済に関する100項目の改革案を発表した。以下にそのなかで特に注目を集めている改革案を紹介、項目によっては現状と問題点の解説も付け加える。
政治家と政府高官を対象とした資産調査委員会設置
これは目玉政策の一つ。昨年抗議デモによって政権が打倒されたものの、政治家たちは不処罰の状態だった。けれど、ついにバレン・シャー内閣が始まって政治家や高官による汚職を国民に対する裏切りとして非難、徹底した捜査によって断罪しようとしています。それが、腐敗防止を目的とした『1991年以降に政治家や高官によって取得された全ての資産を対象に違法性が無いか捜査する委員会の設置』とのこと。これが多くの人々を歓喜させている。
当然これはただの政治ショーではない。バレン・シャーはネパールで政治家の汚職が延々と続いてきた過去を断ち切るため、癒着構造をこれ以上放置することなくアカウンタビリティをはっきりとさせ、責任ある政治体質を築こうとしている。過去の汚職例は限りなくあるが、最近のものでもBhutanese refugees scamでは元閣僚や高官がネパール人偽造難民書類詐欺事件に関与した疑いで逮捕や勾留される事件、或いはGiri Bandhu Tea Estate Scamでは法を変えて不当に土地を売却しようとしたり、Patanjali Land Scamでは土地売却と転売を巡る不当な閣議決定まで利用した大規模な汚職事件など、毎年多くの汚職事件が起きています。『政治献金→利権を与える(公共入札の独占など)→コスト水増し→中抜き』という癒着により公正な競争への阻害も過去まで遡って徹底して追求し逮捕し腐敗した政治家や高官に脅しをかけることで襟を正す時が来たことを知らせようとしています。更に、今後汚職防止を確実なものにするべく公共入札をデジタル化しモニタリングするとみられています。このように、先ず指導者が基本原則を守る必要性を知らしめています。K.P オリへの捜査は富裕層や政治指導者を免責する慣習との決別を象徴している。
ちなみに、調査によって汚職によって不正に取得された土地を没収したり、破格の値段でリース契約した汚職者に対し、適正市場価格でリース契約しなおすよう迫るケースが既に出ています。
シンジケートとの対立不可避
政治に深く入り込んだ癒着を捜査する中でマルワリ系財閥の一つシャンカルグループ会長が逮捕されました。こうした容赦ない強硬姿勢により、企業連合体との対立は必至と思われます。マデシが多く住むタライ平原には国境を跨いだサプライチェーンを牛耳る巨大財閥がありますが、彼らが危機を感じて資本逃避が発生したり、今後、どのような圧力・サボタージュがかかるか心配されるところです。マデシでありながらマデシにも手加減しない人格の天晴さは認めねばなるまい。
他党牽制
長年ネパールで権力を握った3大政党は衰退しましたが、ネパールでは現在王政の方が良かったという思考が一部で静かに広がっています。3大政党もまたいつ勢力を取り戻すか油断できない状況です。そんな中で強制捜査によって他党の関与が明るみになれば、支持を諦めさせる説得力となります。それだけでなく、汚職調査により公平で活力ある環境を整えることで、イデオロギーではなく実務を重視するという、国民が何を基準にどの党に投票するのかという本質的な判断基準を変えることができます。
デジタル化
デジタル化とは、デジタルで監視するシステム化ということで、金の流れをデータで一元管理・可視化し不正をできなくすることで税収を増やすことと、市民が公平な行政サービスを時間通りに受けることができるようにする効果を狙った改革案。デジタル化しない場合、営業停止命令やライセンスはく奪のペナルティが課せられるという。具体例を以下に幾つか紹介する。
脱税防止
電子レシートの義務化で、店で物が買われた瞬間に内国歳入局(IRD:Inland Revenue Department = 税金の徴収・管理を行う政府機関)にリアルタイムで記録されるようになったことで、脱税手段となっていた帳簿の誤魔化しを物理的に不可能にする。
賄賂防止
行政手続きをオンラインで申請できるようにすることで、役人が窓口で賄賂を要求することを物理的に不可能にする。
遅延防止
オンライン処理に転換することで、役人の怠慢や手続き急増時も滞りなく市民がサービスを受けられるようにする。
物流管理
既存の『VCTS(Vehicle and Consignment Tracking System = 車両トラッキングシステム)』強化を閣議決定、税関から市場に到着するまで貨物にGPSを付けることを義務化し、役人と癒着した荷物の積み替えや横流しをオンラインで監視。書類もデジタル化することで物品リスト偽造を物理的に不可能にする。
農家を守り農業の自給自足を守る
バレン首相は、農家が貧しいのは「努力が足りないから」ではなく、中抜き業者による搾取が野放しだからと断定しています。そこで農家の作付けから作物が市場に出回るまでのプロレスを政府で構造的に守ろうとしています。
これまでの問題点
ネパールでは農業従事者の中には慢性的な貧困状態におかれている人もいる。その原因の一つとされているのが、Bicholiyaと呼ばれる仲介業者の存在だ。国家監査局の報告書で指摘されているところによると、貧農は作物の種子、それを育てる肥料、そして害虫から作物を守る農薬を購入する金がないため、仲介業者がそれらにかかる代金を法外な高利で前貸しし、見返りとして収穫される作物は仲介業者が言い値で買い取って良いと貧農に約束させる。これにより、もし作物の市場価格が上がっても貧農は仲介業者の言い値(最安値)で仲介業者に売るしかない。また、これは仲介業者たちが結託すれば市場価格を操作することもできるということ。貧農から最安値で買い取り市場に高値で売りさばいて暴利を貪ることが可能なのだ。また、収穫された野菜を貯蔵する冷蔵倉庫(これによりわざと貯蔵し市場から作物を減らすことも可能)や、野菜を市場に運搬するトラックも資金力のある仲介業者しか持っていない現実も状況を変えられない理由になっている。更に酷いことに、作物を買い取る時に先に作物だけ受け取って支払いは遅らせ貧農を更に困窮させる業者もはびこっているというのだ。実際、バレン・シャーが市長時代に市場調査した結果、農家が業者に売った作物価格と、市場で売られている作物価格に5倍の開きがあったこともあったという。こうした仲介業者は違法な高利で得た利益を納税しないため表面上気付かれない億万長者が存在しているとも言われている。
解決策
仲介業者により農家が搾取されるこのカルテル構造を打破するためにまず、仲介業者が安い買い取り価格で農家から作物を全て買い上げた後に市場価格が決まることが多い現実に着目、バレン・シャーは早ければ作付け前、遅くとも収穫の30日前までに政府が買い取り価格を決定することを義務化。これにより農家が仲介業者から二束三文で作物を買い上げられることを防止、更にその仲介業者が何倍もの値段で市場に売ることも防止。そして仲介業者は作物を受け取ってから25日以内に必ず農家に支払いを済ますことを義務化。支払いが遅れた業者は免許取り消しや資産凍結のペナルティが課せられる。更に業者に頼らない公的な野菜冷蔵倉庫の建設を計画。作物を長期保存し、市場の需給に合わせ出荷できるようにする。また肥料の増産と農家への肥料配給もデジタル化することで仲介業者による横流しを監視。段階的に肥料を買う補助金を農家に直接送金することで、将来的には仲介業者を排除する可能性もあるようです。
その他、農業を活性化させるため新規に農業を始める人や貧農向けに無利子ローンや融資提供や、アグロ・プーリング(Agro Pooling)と呼ばれるカトマンズと地方治体が協力して仲介業者を使わずに作物をカトマンズまで運搬・販売する取り組みなどがある。
現状
当然仲介業者はこの流れに反発し物流をストップさせるストライキを起こしたが、バレン・シャーは軍や警察の車両を使ってでも作物を市場に運んでみせ、更にストライキを主導する仲介業者にはライセンスはく奪や資産凍結、仲介業者が占有していた販売所の没収を通告し、悪質な仲介業者の販売ルートにとどめを刺す構えです。貧農が解放される、違法な高利貸が撲滅される、ライセンスもはく奪という3段構えだ。
州制度の構造見直し
州も議員の数も無駄が多いとの市民の声を反映し、無駄が多くコストのかかる州制度の構造見直しを掲げています。内容は州予算もデジタル化しモニタリング、州の閣僚や省庁を半分以下に削減かつ州議会の権限縮小化や、各自治体が州に許可を求めず住民のニーズに合った開発を迅速に決定できるようにすることなどを検討。これにより政府と住民が中間に州を挟まずに直接リンクされるため、州政府の権力者たちは拒絶反応を示し、デジタル化に協力しなかったり、バレン・シャーを地方を無視した中央集権国家的、独裁者のようだと非難して抵抗しているようです。
インフラ整備
ネパールでは例えば道路建設において、施工が決まっても施工業者が工事をいつまでたっても開始しなかったり、工事を期限を決めずに非常に遅いペースで進めたり、完成したばかりの道路を他の事業者が地面にパイプを通すなどの理由ですぐに破壊してしまうことが当たり前に行われています。これによりネパールは人・物が移動することが非常に大変でした。こういった状況をなくすためバレン・シャーは以下の方針を決定
- 道路を建設する際は必ず電気水道ガスなどの共同溝を設置させることで掘り返しを防止
- いつからいつまでに完成させることを明確化させインフラ拡充を迅速かつ確実にする
- 入札のデジタル化で業者が公平に選ばせることでシンジケートを弱体化させる
さらにインフラ強化を契機に技術者を国内回帰させるため十分な給料を提示し優先的に雇用する。若者に国を作る自覚を発起させる効果も狙っている。
全オンラインカジノ即時閉鎖命令
すべてのインターネット通信業者(ISP)に対し、オンラインカジノサイトをブロックするよう指示した。目的は以下の通り- オンラインカジノにより、ネパールから膨大なマネーが外国に流出していることが発覚、国富流出を止める。
- 詐欺やマネーロンダリングの温床になっているため犯罪抑止のため排除。
- ギャンブル依存に陥った若者の増加を抑止するための道徳的処置。
感想
以上がバレン・シャーの人物像とネパール第一主義のアジェンダの概略です。今回は内閣発足したばかりなので、政策を文字通り素直にポジティブに捉えご紹介しました。
さて、プランは素晴らしいものの、どこまで実現できるでしょうか。当然抵抗勢力によるサボタージュもあるでしょう。政党同士が潰しあった結果、結局あらゆる政党がダメだと市民が判断した時も見越して、王政復古派も何らかの準備を進めているかもしれません。これまで投資してきたインドと中国もケースバイケースでカードを切ってくる可能性もあります。国家予算における債務の50%以上が外国からの借金という経済的な現実もあります。市民の期待も大きいだけに、改革で予想された成果が出せなくなって来た時には落胆も大きいもの。それが全ての人間に共通する性質。その時は一気に求心力を失う可能性も大で、政敵による報復などヤバイ状況になるでしょう。
一方で、強硬手段でオリガーキーに挑んでいる点を見ても、相当な覚悟が決まっていることは明らかです。この恐れ知らずの慣行力と信念はやはり若さのたまものとも思います。時代に合っていない古い政治を打破し、生まれ変わるには凄まじいエネルギーが必要ですよね。発展した他の国でもできないようなことを、このネパールがずばずばとやりきっている小気味良さもあるし、現在のネパールの政局は非常に面白い、愛国心と夢に満ちていて見ていてワクワクすると思いました。
ソース:- KP・オリや政治指導者への捜査: https://www.bbc.com/news/articles/cn89ry7y835o
- シャンカルグループ会長逮捕:https://ekantipur.com/news/2026/04/05/en/91-year-old-shankar-group-in-crisis-after-controversial-bhatt-takes-refuge-19-46.html
- ネパールの対外債務:https://risingnepaldaily.com/news/77918
- バレン・シャー、一対一路の工業団地プロジェクトを公約から削除:https://www.moneycontrol.com/world/why-balen-shah-as-nepal-pm-could-be-bad-news-for-china-article-13852723.html
- バレン・シャーの改革案:https://www.cnbctv18.com/world/nepal-pm-balendra-shah-unveils-100-point-reform-plan-jobs-to-digital-id-and-national-complaint-system-ws-l-19877389.htm
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