ネパールのカースト制度の全て:階級の名前一覧・職業・歴史と現在

2018/12月/08
ネパールのカースト制度
ネパールのカースト制度のヴァルナ構成と各カーストの配置及び関連付けられた職業の図

ネパールでカーストという言葉は苗字と言う意味で使われます。名字で部族が分かり、部族で階級が分かったカースト制度。つまり、苗字によって一覧化された身分制度そのものです。それはヴァルナ(ヒンドゥーの神に与えられた身分)という価値観で人々を部族ごとに分断、職業を定め階級化し世襲させた身分制度であり、1963年に廃止されましたが、半世紀以上たった現在も社会に影響を及ぼしています。本記事では私のリアルな体験に基づき、ネパールのカースト制度の序列、インドとの違い、部族の階級と職業、ネパールでカースト制度が始まった歴史、廃止から現在までの変化、ネパールのダリット問題まで完全網羅して詳しく解説します。

カースト制度の基本原則ヴァルナ(階級)の序列

カースト制度は人々を4つのヴァルナ(階級)と、ヴァルナに入れてもらえない人々とに分類し世襲させた制度です。まずヴァルナを以下に序列順に記述します。

  1. バラモン:神が原人の口から作ったとするヴァルナ

    司祭や教育者のヴァルナ。テクノクラート、警察、武装警察、学者、政治家、研究者、教師、(時々軍の高官も)などを担う。しかし職が無限にあるわけではなく貧農も多かった。職に就けば裕福になりやすかったし、要職にコネクションがある人が多く、行政手続きなども早く受けやすかった。バフン族がこのヴァルナに該当する。

  2. クシャトリヤ:神が源人の腕から作ったとするヴァルナ

    武人のヴァルナ。兵士、王族、役人など軍関係に多い。バラモンと同様に政治家も排出した。チェトリ族タクリ族がこのヴァルナです。

  3. ヴァイシャ:神が原人の腿から作ったとするヴァルナ

    農民、商人、自由業の階級で、しばしばビジネスカーストとして解釈される。タカリ族グルン族、マガール族、ライ族、リンブー族、堕とされたマタワリ・チェトリなどが含まれます。ヒンドゥーにおいて金銭管理そのものは嫌悪されたことではなかったが、それとは性質が異なる「倫理を伴わない商売による貪欲な富の追求」という行為は商人の階級であるヴァイシャが中心に行っていた。 また現代ネパールで外国人傭兵として活躍するグルカ兵は実はクシャトリヤの部族ではなく、ヴァイシャのグルン族やマガール族やライ族やリンブー族など山岳の少数民族がほとんどを占めています。

  4. シュードラ:神が原人の足から作ったとするヴァルナ

    最下層のヴァルナであり、「奉仕する者」という概念のもと、鉄工(武器職人も含む)のカーミ、精油、皮・革靴産業のテリ、音楽職人や衣服の仕立て屋のダマイ、洗濯職人、土器職人(クマル)、清掃員、重労働などいずれも生活に欠かすことのできない専門職の分野です。19世紀に起こったカースト制度の大再編以後は、水の共有禁止、生物の受け渡し禁止、法を学ぶことが禁止、ヒンドゥー寺院に立ち入り禁止など差別に晒されていきました。

  5. ヴァルナ外:ヴァルナに入れてもらえない人々

    途中から被差別となったシュードラとは違い、最初から触れることも許されない不可触民(俗に言うアンタッチャブル)、古代からのアウトカーストにカテゴリーされ、非常に汚い仕事を担わされていたそうです。或いは吟遊詩人コミュニティのガイネ族などがいます。

神によって作られた身分という価値観でお分かりのように、つまりヒンドゥー信仰とセットになっています。そのため資産で身分が変化することはありませんでした。次にこの構造をヴァルナと序列はそのままにしつつ、自分たち(支配的階級)の身分とは関係のない階層に関しては、時代に合わせて19世紀にアップデートしています。これにより、インドとネパールのカースト制度には決定的な違いが生まれました。ネパールのカースト制度の図式と特異点を次の項に詳しく書きます。

ネパール独自のカースト一覧(ジャート構造図)

清浄グループ
  • タガダリ (聖糸を着用する上位層) ※【ブラーマン】と【クシャトリア】
    1. バフン 【バラモン】
    2. タクリ 【クシャトリヤ】
    3. チェトリ 【クシャトリヤ】
  • ナマスィネ・マトワリ (奴隷化されない先住民族) ※ここから【ヴァイシャ】
    1. ネワール
    2. マガール
    3. グルン
    4. マトワリ・チェトリ
    5. ライ・リンブー
  • マスィネ・マトワリ (奴隷化されうる先住民族) ※ここも【ヴァイシャ】 奴隷化されうるという意味は、犯罪を犯すと全財産を没収され、身分を奴隷に落とされるという意味です。
    1. タマン
    2. チベット系諸族
    3. マジ族
    4. ラウテ
    5. チェパン
    6. 他多数
【 浄 と 不 浄 の 境 界 線 】 ここから下が 【 パニ・ナチャルネ(水を受け取れない不浄民) 】
不浄グループ
  • チョイ・チト・ハルヌ・ナパルネ (身体接触はOKの不浄民) ※ここから【シュードラ】
    • カサイ(屠畜)
    • ムスリム
    • 外国人、など他多数 (外国人は本来生粋の非ヒンドゥー教徒であり、教義上ダリットに分類されるべきだったが、外交の整合性が取れなくなるので)
  • チョイ・チト・ハルヌ・パルネ (身体接触もNGの完全不可触民) ※ここは【シュードラ】と【ヴァルナ外】

    ◆ 異なる2つのルーツをこの「完全不可触民」に叩き落とした!

    • 【シュードラ】
      • ダマイ(仕立て・音楽)
      • カーミ(鍛冶)
      • サルキ(皮革)
    • 【ヴァルナ外(本来のダリット)】
      • ドム(死体処理)
      • ムサハール(農業労働)など

これが、ムルキ・アイン(1854年法典)によるネパールの法的カースト階層図です。ご覧のように、ネパール・カースト制度における「浄・不浄」と法的奴隷化をブレンドした二重構造図となっています。

ヒンドゥーヴァルナの序列順にジャート(階層)化しており、ジャート内にも厳格な序列が定まっています。浄と不浄の概念は、「水の共有ができるかできないか」で取り決められていました。それこそがネパールのカースト社会において「人間」を分ける最も決定的な境界線でした。

ここで注意が必要なのは、これはそれ以前に既にネパールにあったカーストを、当時の宮廷の都合で一方的にランク付けした法であり、実生活では旧来通りの普遍的カースト意識があり、日常生活でタガダリといった言葉を使うことも、その分類でグループ意識を持つこともほぼ全くありません。実際は各カーストが個別のグループ意識を持ち、諸族部族の名前で呼び合っています。この序列が分断と統治という目的以外で使われたケースは事務的な時で、例えば刑罰の基準として用いられたりしました。

カース民族(チェトリと同じルーツ)でありながら、外来の権威主義に迎合しヒンドゥー化し、同じ民族を差別的な構造にはめて階層化することを良しとせず、本来のアイデンティティを守ろうとした「真のプライド」を持った人々は、ネパールが統一されてからも迎合することなく昔ながらの生活を続けたため、マトワリ・チェトリと称されヴァイシャ・ヴァルナとみなされました。

なぜそれ以前の悠久の時を超えて続いてきた普遍的カースト制度がありながら、このような歪んだ改造を1854年にもなって突然行ったのか、突き詰めていくと全ては時の宰相ジャン・バハドゥル・ラナの身分コンプレックスに起因するといっても過言ではありません。血みどろの宮廷権力闘争のスキをついてトップに躍り出たこの人物は、チェトリではあったものの、伝統的な貴族出身ではありませんでした。彼は自分の血統を頂点にするためだけに、苗字さえ新たに作ってタクリに昇格させ、階級闘争で支配体制が覆されないようにすることに執着した結果なのです。

この、ジャン・バハドゥル・ラナが宮廷で権力掌握した成り行きやタクリについても興味をお持ちの方は、ぜひ下記記事をご覧ください。

ネパールのカースト制度とインドの違い

ダリットが少ない

それ以前から散在的にヒンドゥー集団はいましたが、ネパールで本格的に大規模なヒンドゥー化が始まったのは、12世紀ごろインド大陸でイスラム化が始まった頃で、ヒンドゥー勢への破壊行為やイスラムへの改宗強制を拒んだ高位カーストたちが命からがらヒマラヤの山々に逃れてきたからです。一方で下位カーストがヒマラヤまでわざわざ逃げてこなかったのは、むしろイスラムによって解放され、立身出世するチャンスとなったからです。これが、ネパールにはインドに比べてダリットが少ない決定的な理由です。

この、大規模なヒンドゥー化についても興味がある方は、その経緯についても詳しく触れた下記記事をぜひご覧ください。

シュードラまでもダリット(パニ・ナチャルネ)の扱いに

1854年にネパール王国が全ての民族を統合したカースト制度(リマスター版)を憲法(ムルキ・アイン)に明文化する時に、下位カーストの構造について書き換えられた箇所があります。それがシュードラに対する扱いです。本来シュードラは不浄な存在ではありません。しかしこの時、それまでヴァルナ外にのみ課せられていた「パニ・ナチャルネ=水を共有してはならない(不浄の存在)」をシュードラにも適用にし、ヴァルナはシュードラのまま、実質ダリットの扱いに落としました。
理由は、労働力の安定的確保と国家の経済管理。もともとのダリットは単純労働者であるのに対し、シュードラは技術者集団。シュードラを弱い身分に追い込むことで力を奪いつつ、生産者階級に縛り付け体系的に利用したかったためです。

異教徒だったモンゴロイド諸族をあえて中間層に配置

18世紀までネパールには様々な王国があり、ヒンドゥーの国や非ヒンドゥーのモンゴロイド諸族の国(マガル、グルン、タマン、ライ、リムブーなど)などがありましたが、ヒンドゥー勢力のゴルカ王国が最終的にネパール統一してからは、モンゴロイド諸族は政治的判断で中間層に取り込まれました。理由は、ネパールのモンゴロイド諸族は戦闘力が高かったため、下層に入れてしまうと抵抗され手に負えなくなる恐れがあったことと、既にヒンドゥーによって下層におかれているシュードラやダリットとモンゴロイド諸族が結託し、支配層に歯向かってこないよにするためです。要するに誕生したばかりのネパール王国が早くも不安定化しかねないからでした。よって、一旦中間層に取り込み、下層のダリットと反目させ、さらに中間層内部でも一致団結しないよう内部では上下に分けて分断させます。すなわち、ヒンドゥー勢力に協力的だった部族、例えばゴルカ王国を早い段階で支援していたマガール族や、グルカ戦争でのグルン族は大活躍してくれたので、支配層も頭が上がらず、優遇して中の上に配置、タマン族などヒンドゥーという差別的なシステム化に非協力的で、最後の最後まで徹底抗戦した部族は中の下としたわけです。

マトワリに対する「きわめて寛容な関係」

ここまでの経緯を見ると、さも緻密に計算されて体系化されたような感がありますが、実際は違います。その都度その都度対応して上手く回してきたと見なしたほうが、実は整合性が取れる事実があります。支配層が関心を持っていたのは、自分たちのヒンドゥー社会の維持、自分たちのヴァルナと、被差別層との明確な区別の維持、徹底した差別主義によるアイデンティティの存立のみです。ですから、異教徒であったジャナジャティのことなど、実は最初から互換性のあるシステムに組み込む気など無く、眼中になかったわけです。下手に細部までこだわると、その時点で自分たちのヒンドゥー社会を変えてしまうことになるからです。そして、「どうでもいい」と無関心に突き放した状態こそが、同じアーリア系民族であるはずのダリットへの辛辣な対応に比べ、マトワリ(先住民)と上位カーストとの間の「なぁなぁの寛容さ」につながっていたのです。

「自分たちのヴァルナ」の純潔性への病的な執着

裏を返せば、支配層は自分たちのヒンドゥー世界の保存、アイデンティティである自分たちだけのヴァルナさえ穢されなければ、ほかのジャートがどういう状態にあろうとどうでもよかったのです。これは国家として民に対する管理責任をもつことさえ放棄した、究極の排外主義とも言えます。

実は、ネパールのカーストにおける被差別層(カミ、ダマイ、サルキなど)の多くは、マトワリのようなモンゴロイド系の先住民ではなく、バフンやチェトリと同じ「アーリア系民族」です。言語も同じネパール語を話します。支配層から見れば、ダリットは「部外者」ではなく、「自分たちのヒンドゥー社会の内部にいた存在」でした。だからこそ、支配層は同じアーリア系であるダリットに対しては「触れたら水を撒いて清めろ」といった、逃げ場のない辛辣で徹底的な差別ルールを課して縛り付けたのです。

支配層が、自分たちの特権と階級の存在(ヒンドゥー世界でいうところのヴァルナ)をダリットという生け贄を踏み台にして死守する一方で、数の多い先住民とは実生活でなぁなぁに上手く回すという排外的な差別主義と、その場しのぎの現実的な寛容さが歪に同居した「ジャン・バハドゥル版カーストシステム」に次第に、人口マジョリティの先住民も「たとえ下位とみなされても被差別層じゃないし、生活に困ってることもないから」、「今のままでいいか」と慣れていって定着して続いた状態だったというのがホントのところでしょう。

覆せなかった人口比

ネパール(特にマトワリに対して)でそこまでガチガチにならなかったのは、「人口のパワーバランス」のせいです。山岳地帯では、圧倒的多数の先住民(マトワリ)の中に、少数のプルビヤ・バフンやチェトリが移住してくる形でコミュニティが作られました。少数派であるバフンが、多数派である地元の先住民に対してインド並みの傲慢な差別をしようとすれば、村八分にされて生活が成り立ちません。そのため、生きる知恵として「お互いにメンツを保ちつつ、実生活では寛容に、なりゆきで上手くやる」という弾力的な社会の雰囲気が作られていきました。このちゃんぽん化した村の景色は、今ではネパール社会の最大の魅力にもなっています。

事実、インドのカースト制度のような息苦しい完全隔離とは異なり、ネパールの農村ではバフンだけの村などもありますが、一方で、バフン(ブラーマン)やチェトリ、そしてグルン族やマガール族などのマトワリが、隣り合って暮らしている場所も珍しくありません。マトワリもマトワリで、自分たちの文化も維持しながら、バフンが祝うヒンドゥーの祭り(ダサインなど)も一緒に楽しく祝います。そこには抑圧された強制感も、反抗心も全く伺えません。支配層の側も、マトワリが独自の言語や文化、お酒の文化を持つことを無理に禁止せず、「まぁ、あいつらはマトワリ(酒飲み)だから」という免罪符を与えて、大らかにスルーしていました。

ジャーティ間の軋轢

ヴァルナのポイントとしては以下のことなどがあります。

  • バフンに警察が多いのに対し、チェトリは軍に多い。
  • 職に貴賤があり、階層ごとにふさわしい職の概念がある。
  • 下位とみなされた丹治職人階層の中でも貴金属を扱うカーストは裕福な者が多い。
  • 下位階層は不浄とされ、水の共有、生物(なまもの)の受け渡しが禁止されていた。
  • 下位階層は法の勉強を禁止されていた。

ヴァルナにカウントされる人々の中ではシュードラが一番低い階層であるものの、その下に更にヴァルナにカウントしてもらえないヴァルナ外(俗に言うアウターカースト)が用意されており、シュードラとヴァルナ外の人々は差別的な扱いを受けていたことから、現代ではダリットと総称されています。ダリットとは被差別者を差別的に呼ばないようにするためにできた新たな言葉です。

職業について注意したいのは、ネパール人は誰もが自給自足の農業をしていた点であり、ヴァルナと職業が表すのは、あくまで就職するなら上記の職につくことになっていたということであり、職が各階層のために常に際限なく用意されていたわけではないことです。実際、司祭階級でも日頃は農業で貧しい暮らしをしている者がほとんどでした。それから、清浄と不浄の概念があるため、今でもパーティーなど色んなカーストがランダムに集まる場で振る舞う料理は上位カーストが作っていることが多いなど、潜在意識に尾を引いています。21世紀に入った今でも農村では井戸をカーストで分けて作ってあるところもあるほどです。更にダリット問題のみならず、ヴァルナごとで職業が定まっているため、一般大衆でさえ才覚ある者でもヴァルナが異なる理由で適切な職業分野に進むことも、そもそも教育の場が提供されず才覚を自覚することもできないケースは多々あったと考えられ、国民一人一人の潜在力が封じられ国としても未知の可能性を見出す機会を封殺してしまった状態であったと言えるでしょう。

ネパールのカースト制度の歴史

カースト制度は太古の時代、ヒンドゥー教徒の入植と共にネパールの地にも広がっていったと考えられています。現ネパールがある地域で確認されている最も古いカースト制度を持った国はリッチャヴィ王朝(4〜9世紀)と言われています。もちろんその頃はまだ現在のネパールという国も領土概念も存在していなかった時代です。まだヒンドゥーの広がりは限定的で、比較的敵が侵入し難い意味で安全で辺鄙な地域とも言えるヒマラヤ山麓では、各地に様々な勢力が小国や地域連合を成し、仏教系部族や、キラット系部族など、ヒンドゥー以外を信仰する部族も多くいたわけですが、南方の平野側からヒンドゥー教徒の長期にわたる分散的な入植者が最多人口になっていくのは自然なことですね。

大規模なヒンドゥー化によるヴァルナ化ならネパール西域のカース民族(12〜14世紀)

上からの強制的なカースト制度の体系的運用を行った他の例ではマッラ朝(14世紀後半)などがあります。

リッチャヴィ朝は移り住んできたヒンドゥー教徒が自分たちの生き方や社会システム、つまりヒンドゥー文化やカースト観念をそのまま運用したのに対し、マッラ朝はすでに現地民と混合してもともとの姿をとどめていない、もはや別民族みたいな文化と宗教になった社会のところで、ヒンドゥー教とカースト制度のパッケージを再導入して引き締めなおした、という概念です。

カースト制度を憲法(ムルキ・アイン)に明文化

ネパールの中部の山奥にあったヒンドゥーの国ゴルカ王国は18世紀になると西へ東へ侵攻を繰り返し、周辺のマガール族を平定、カトマンズ盆地のネワール族を平定などして、1768年に現在の領土を占めるネパール王国を建国しました。ヒンドゥー信仰のゴルカ王は特にヒンドゥー教への思い入れが強かったようで、(当時インド大陸の北半分ではムガル帝国のイスラム勢が支配者となっていた情勢もあり)ネパールを建国した際に「もはやこここそが真にヒンドゥー教義が実践される最後の地」とまで豪語し、ヒンドゥー教の法典を基にした階層化社会を支配民に強制しました。それから時代は下り1854年、世界情勢が近代化していく中にあっても、なんとネパール王国の憲法ムルキー・アインにわざわざカースト制度を明文化してしまっています。

1854年新国家法典ムルキー・アイン(当時のネパール憲法)を作った中心人物のジャンガ・バハドゥル・ラナ(宰相)は欧州視察もした人物で、"国民"と"国家"という新しい概念に触れていたはずですが、既存のカースト慣習を単に明文化しただけではなく、エディットまでしています。その最たる例が、ネパールのカースト制度の特異点で先述した、シュードラ(技術者集団)のダリット化です。支配層は、国家の経済管理と安定的な労働力確保を狙い、本来は不浄ではないはずのシュードラを、法的に「パニ・ナチャルネ(不浄の存在)」の枠組みへと突き落としました。これにより、高い技術を持つ生産者階級の力を体系的に奪い、国家に従属させる経済統治システムを完成させたのです。カーストは信仰とセットになっているため、欧州を視察した後も、社会の構造をカーストや人種で捉える思考から脱皮できなかったようです。

憲法にすることで、近代化し国家の可能性を探るより、近代化のあおりを受けて身分社会が崩壊するのを防ぐ先手を打ったともいえるでしょう。

ちなみに1854年といえば日本は幕末。列強の先進性を目の当たりにし"国民"と"国家"という新たな体制を模倣する人々が出始めました。彼らは欧米に圧迫される世界の姿と、欧米の強力な軍事力を見せ付けられ、明日は我が身という危機感を抱くと同時に、近代システムを導入することによる国家の伸びしろにも関心を示していました。結果的には内部の衝突を避け大政奉還、無血開城を成して維新を達成し、支配層自身が武家社会を終わらせています。世界情勢に対する感じ方は国によってこうも異なるわけです。

各部族内に更に非公式のカースト制度がある

さて、ネパール全体の公式版カースト制度とは別に、各民族内部にも独自のカースト制度があります。少数民族のタカリ族やグルン族にさえ苗字ごとのグループが存在し序列がありました。その中で、比較的人口が多く、細かく細分化されたカースト制度を持っていたのがネワール族やタライ平原のヒンドゥー教徒(マデシ)などです。例えばネパールのカースト制度で中間層ヴァイシャに属するネワール族ですが、ネワール内だけで通用するバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ、アウターカーストなどの階級が存在しています。カトマンズでは先住民ネワール人の人口が多いため遭遇することも多く、カトマンズにいる時はこんがらがりがちですが、俺はバラモンだと言うネワール人がいても、それはネワール族内での階級を言っているのであって、ネパール全体のカースト制度との互換性はありません。タライ平原のマデシの人々の序列も同様です。ネパールは各民族それぞれの部族意識が強いため、この様な族内カースト序列が今日まで存在しています。

ネパールでカースト意識が無くならない理由

カースト制度が長く続いたことにより、階級ごとで生活スタイルが異なる慣習がこびりついたため、今も旧階級の異なる者同士が交流する際はある程度の知識を持つことが必要となっている側面まであることが、カースト意識が消えない理由になっています。つまりネパールでカーストを差別的な理由で捉えている人はずいぶん減っているにも関わらず、カースト意識そのものは一向に消える気配がないのはカーストによって生活の仕方が違うからです。カースト制度により各部族が混ざり合うことがなかったため、現在もネパールには123の言語が残っていますし、例えばタマン族、マガール族などにはそれぞれに独自の暦があり、新年を祝う日が他のカーストと違ったり、或いは、バフン族はバッファローや豚の肉を食べなかったり、ネワール族はバッファローも食べるし人目を気にせず独自の酒も飲んだり、など、つまり差別的な意味とは違い、社交するためにも相手のカーストに対する知識が必要だからです。そもそも部族ごとに特有の苗字があるため、人々は相手の苗字で部族や階級まで知ることができます。カーストについての予備知識を持つことは、一般常識と言っても過言でない状況が、ネパールでカースト意識が一向に減退しない理由になっています。

ネパール周辺の地形図

初期においてヒンドゥー系の人々がカースト制度という独自の序列制度を持っていたとしても、他の民族にしてみればそれはただの異なる風習をもった人々に過ぎず、ヒンドゥー側がいくら他人を蔑視しようとそんなローカルルールに効力はないし誰も聞きません。しかし徐々にヒンドゥー系が増え、囲まれるようになると話は変わります。他の民族はヒンドゥー系の外にいたつもりがいつのまにかヒンドゥ系社会の中にいるも同然になり、そして遂にヒンドゥー系が土地の支配者となりカースト制度が国の決まりであると発表されたと考えると、他民族にしてみたら迷惑な話ですね。

ネパールのダリット差別の具体例

カースト制度が公式に廃止されたのは1964年ですが世間には残り続けた証拠として、ダリット(被差別層)差別が違法になったのがカースト制度廃止から約半世紀後の2011年という点があり、いかにこの身分制度が尾を引いているかが分かるかと思います。ダリットと総称されるかつて低い階級に押し込められていた人々への過酷な差別や暴力は今も時々発生しています。

実はダリットという言葉自体は差別語ではなく、被差別層を差別的に呼ばないために新しく作られた言葉です。ダリットは"階層外"とみなされ、平等な権利を認められていませんでした。具体的には以下の様な過酷な差別に晒されていました。

  • 水の共有を禁止されたダリット達は生活用水を汲む公共の井戸も触ってはダメ、どうしても使ってしまった場合などはリンチを受ける事件が度々起きていました。
  • ヒンドゥー教徒でありながら、ヒンドゥー寺院に入ることを許されませんでした。
  • 他のヴァルナとの婚姻は禁止されていました。
  • 下位カーストが上位カースト女性と姦通すると厳しい処罰を受けるかリンチを受けていました。
  • 不可触とは文字通り触れてはならないことで、仮に触れた場合、上位階層は行水して身を清めたり、座った場所を水で清めていました。同じ所にいることも嫌悪され、咎められるか高位が自ら距離を置いて離れるほどでした。
  • にも関わらず、上位カースト男性が低位カースト女性にボディタッチすることはOKでした。売春カーストはその典型例です。
  • ダリット女性はレイプのターゲットになることも多く、数多くの精神的・物理的なバイオレーションに曝されていました。

とまあ、ここまでいくと滑稽を通り越して双方が生活に支障を来すレベルです。カースト制度は身分によって刑罰が加減され、人々を理不尽に格下げしたり、偏見を生ませ無関心に放置、或いは辛らつに抑圧して負の連鎖に閉じ込めたため、今も人心の離反と社会進出の停滞を生んでいます。

分断工作の有効性:ダリットがダリットを差別

感受性の生き物である人間は、自分が受けてきた扱いでしか人に接することはできない、と言います。実はこれはカースト制度という小さな世界の中でも起きており、皮肉にもそれがカースト制度の存続を補助してきた側面まであります。つまり、差別を受けた人々もまた、自分より下を差別し、下へ下へ差別連鎖させることでガス抜き機能になってしまっているのです。

例えば先述した、「シュードラ」と「古代からのアウトカースト」を一つの階層「チョイ・チト・ハルヌ・パルネ(身体接触もNGの完全不可触民)」に押し込んでガチャンとロックしたことは、階層内の結束を二重に阻んでいます。

シュードラ内での序列意識と蔑視

例えば「チョイ・チト・ハルヌ・パルネ」に押し込めれらたシュードラの中で、機械を扱うセクターを担ったカーミは、機械の神様ビッショカルマを信仰しており、自らの仕事を神聖な役割と認識しています。これにより、自分たちは他のシュードラとは専門性や難易度、信仰に裏付けられた正統性が「お前たちとはレベルが違うんだ」、という自負があります。実際、苗字も神に倣ってビッショカルマを名乗り、中には鍛冶や家具製造で巨万の富を築くものもいます。ダリット内では頂点、ヴァルナ的には非ダリット、という認識が、他のダリットと一緒にされたくないという複雑な心理を生んでいます。このように、シュードラ内でもカーミやダマイなどお互いに序列を競う上に、更にシュードラと古代からのアウトカーストの間にも差別意識が生じています。本来自分たちはダリットとは違うんだという自尊心です。この2重の心理的線引きが、ダリットが団結すればたちまち巨大な人口を持つ集団になることが分かっていても、そうはならない背景になっています。

ダリット差別解消に向けた政策・動向

ダリットへの差別や暴力は今も時々起こりニュースになっている。しかしそれが問題視されていることに進歩が伺える。人として充分な扱いを受けられず、傷ついて倒れても助ける者もいないまま、何世紀にもわたってさらなる暴力にさらされていたダリットの問題を解消するべく、今では行政や各国の団体が動いている。2011年ネパールのダリット人口は360万人との調査結果が出たそうだが、実際はもっと多いとも考えられている。ネパールの人口が2900万人だから360万人は非常に大きな比率で、ダリット差別の撲滅が大きな課題と見られている。

ダリット優遇策

現在ダリットは法の下に保護されています。平等教育や一時金の支給や医療費免除などさまざまな優遇策がとられ、意識向上した都市部ではダリット差別がかなり薄れています。田舎の方ではまだ差別意識が根強い所もありますが、都市から地方へ波及するタイムラグは多少あるでしょう。

教育によるカースト意識の変化

学校では子供達に新しい教育がなされ、年齢が若くなるにつれて差別意識、階級意識が希薄になっていますが、ネパールで生きる以上、カーストごとの風習の違いを何れ目の当たりにすることになり、成人するまでにある程度カーストについて知っていくのが必然です。それでも差別意思はかなり減っています。

ヒンドゥー棄教と改宗禁止法

信じても自らを下位カーストとしたヒンドゥーでは救われない人々が、キリスト教の教義によって心の救済を得ています。ネパールでは現在キリスト教徒の増加が著しいと感じます。また、昔弾圧を受けてヒンドゥーに改宗した少数民族がもともと信仰していた仏教や自然信仰に戻るケースもある様です。今やネパールには至る所に教会ができています。教会は聖書を通して良心の在り方を解いたり、慈善活動として物質的な救済もしています。これを金で信仰を買うと批判する声もありますが、恵まれない人々に衣類や生活に必要な金銭を援助する事は何もしないよりマシで、ヒンドゥー教徒自身の考えを改めさせる契機にもなっています。仏教も同様に、チャリティーのためにタイやチベットから僧が来て物質的な支援や子供達に学習機会を与えています。異教は直接的間接的にネパールの弱者のためになっている様です。この様な状況からか、他人の宗教を転換させる行為や、宗教勧誘を制限する動きもあるそうです。以下にに簡単なタイムラインを記します。

改宗禁止法までの経緯

2006年 ヒンドゥー教はネパールの国教ではなくなり、あらゆる宗教がネパールで精力的に活動してきました。
2015年 ネパールは憲法で再び改宗を禁止してしまいました。
2017年 "改宗禁止法"を作り、改宗を勧めたものは処罰対象になりました。キリスト教布教者が逮捕されたこともありました。(釈放済み)

ネパールで私が実際に体験した「カースト制度の名残り」

金の問題でダリットを激しく罵倒

それは目の前で始まった。2018年、タライ平原と丘陵の境にあるマクワンプル郡。山村の暮らしを見てみたかった私は、バスで少し山奥に入った知人宅に滞在していた。ある朝、坂の下にある農家の方面から、静寂を切り裂くような大声が響いてきた。すさまじい怒声で、延々とまくしたてている。窓から様子を伺うと、一人の女性が、家の婦人からこれでもかと罵られていた。婦人の声があまりにも大きいため、会話の内容が丸ごと聞こえてくる。聞けば、罵られている女性は、貸したお金を返してほしいと頼みに来ていたのだった。彼女は激しい罵声を浴びせられながら、悲しそうな顔をしてただ黙って耐えていた。後で知ったが、罵られていた女性はダリット(被差別カースト)のダマイ族、罵っていた婦人は最高位カーストのバフン族だった。この地域の田舎では学校が村に一つしかなく、周辺の村から子どもたちが徒歩1時間かけて通ってくる。昔から、バフンの村の子も、ダマイの村の子も、同じ学校で机を並べる。だからこそ、カーストが違っても二人は「幼馴染」だったのだ。信じられないことに、このバフンの婦人は、幼馴染であるダマイの女性からお金を借りておきながら、逆ギレして彼女を怒鳴りつけていた。そして、なぜ二人が屋外で話しているかといえば、単純に「ダマイ族を家に入れない」ことが日常の当たり前だからだった。二人は友人であり、幼馴染である。それでもダマイの女性は家に入らないし、彼女自身も「入れてもらえないこと」を当然として受け入れている。その関係性の壁は文字通り相互に機能しており、バフンの婦人がダマイの家に入ることも絶対にない。そこには、越えられない明確な境界線があった。借金をまったく返済せず、そればかりか「返してほしい」と正当な要求をしに来ただけの人間を、あそこまで苛烈に罵倒して追い返す。そんな理不尽な光景を目にしたのは、私の人生で初めてのことだった。

ダリットを家に入れないのが当たり前

後日、私は件(くだん)のバフン婦人の家に連れていかれた。私の知人と婦人は親しいご近所同士。珍しい外国人がやってきたから見せたかったのか、単なる挨拶ついでか、あるいはその両方か。とにかく私は、彼女の家にいた。居間で、出されたお茶をすすりながら談笑していると、先日のダマイのおばさんがふらりとやってきた。「あらまあ、外国人さんかしら」彼女はドアの外から、実になめらかで、にこやかな声をかけてきた。私はすかさず「ナマステ」と挨拶を返す。彼女は敷居をまたぐことなく、玄関口に置かれた「ムダ」と呼ばれる小さなスツール(編み込みの丸椅子)に腰かけた。バフン婦人は何事もなかったかのように、黙ってダマイのおばさんにもお茶を差し出した。だが、「中へ入りなよ」とは絶対に言わない。そこには、目には見えないが、決して超えてはならない絶対的な境界線が厳然と存在していた。さらに私を驚かせたのは、おばさんの態度だった。先日あれほど苛烈に罵倒されたというのに、仕返しにきた様子など微塵もない。ただ、朝の通りがかりに普段通りの世間話をしに立ち寄っただけ、という風情なのだ。激しく侮蔑する一方で、幼馴染として大人になっても「友人」であり続け、庭先に入るのも気にせず、玄関前に座られても咎めない。それどころか、お茶まで振る舞う。外から見ればひどく矛盾した、不可解な関係に思える。だが、それこそが、日常の中に完全に溶け込んだ「冷淡な区別」の正体なのだろう。特別な悪意や、複雑なルールに基づいて排除しているわけではない。当たり前だろう、お前たちの扱いなどこの程度で十分なのだから――。そんな、相手を細やかに取り扱うべき存在とすら見なしていないかのような、おおざっぱで残酷な「日常」が、そこにはただ平然と横たわっていた。

ダリットと仲良くした身内を叱責

学校では「カースト差別はいけないことだ」と教えられる。子どもたちが学校という場に集まれば、自然と気の合う者同士で仲良くなっていく。そこには本来、カーストの垣根など存在しない。だが、一歩家に帰ると、現実は一変する。子どもがうっかりダマイの子の家へ遊びに行ったことが発覚しようものなら、親からはこっぴどく叱責される。なぜあの家へ行くべきではないのかを徹底的に教え込まれ、挙句の果てには「一族の評判を落とすとは、なんて親不孝な子だ!」と激しく責め立てられるのだ。親への愛情や罪悪感を人質に取り、心理的な脅しをかけることで、子どもに差別の境界線を刷り込んでいく。学校でいくらモダンな人権思想を学ぼうとも、家庭に帰れば、伝統的な「高位カーストの心得」への執着と呪縛が延々と継承されている。これでは、差別がこの地から消え去るわけがない。外の世界がどれだけ近代化しようとも、差別を生きながらえさせているのは、他ならぬ「家庭」という密室の教育なのだ。親への愛情を人質にした「差別の再生産」である。

地方の村では井戸すら分かれている

私はとにかく、ネパールの田舎の村を歩いて回るのが好きだ。集落から集落へとのどかな山道を歩きながら、自然の匂いや農地の様子、人間の原点のような営みを眺める。ネパールの田舎にはそこら中に井戸があり、こんこんと水が湧き出ている。私は喉が渇いたら、迷わずその水を飲む。もう現地の水にはすっかり体が慣れていた。ある時、山道を歩いていると、物珍しそうに集落の子どもたちが寄ってきた。ネパールの田舎の子どもは、挨拶代わりに必ずこちらの名前を聞いてくる。だから私も、マナーとして相手の名前を尋ね返す。そのやり取りの中で、苗字から相手がダマイ族だと分かった。私にとっては、カーストなどどうでもいいことだ。「ああ、ここはダマイの村なのだな」と、異文化に対する好奇心が湧くことはあっても、差別心など微塵もない。しかし、子どもたちは、ダマイの村の井戸水を平然と飲んでいる私の姿を、信じられないといった様子で凝視していた。

こんな山奥にやってくるのは地元の人間だけだ。そして地元住民は、どの集落がどのジャート(カースト)なのかをすべて把握している。ヒンドゥー社会において、水の扱いこそが区別化の境界線なのだ。だから、最初からこの井戸の水を飲むのは、この村のダマイ族だけなのだ。他のカーストの人間は、決してこの井戸に口をつけない。その絶対的なタブーを、一人の外国人があっさりと破って水を飲んだ。子どもたちの驚きは、それほどまでに村社会の徹底した「区別化」が今なお生きている証拠だった。生きていくために不可欠な命の水、その井戸さえも使い分けるほどに、彼らの境界線は深く、冷たく敷かれている。

驚き半分、面白がり半分だったのだろう。子どもたちから「もう一回飲んでみて!」とせがまれた。私は「もういいよ、飲みすぎると後でお腹がきつくなるから」と笑って断り、代わりに頭からその水を思いきり被ってみせた。歩き続けていたので、水を被ると爽快だった。すると、子どもたちが一瞬にして怪訝な顔をした。「……貴方は、この水が飲めないの?」その言葉と視線の鋭さに、私はハッとさせられた。そしてすべてを理解した。私が飲むのを拒んだ瞬間、彼らの中に「やっぱりこの外国人も、自分たちをダマイだと知って、汚いと思って拒絶し始めたのではないか」という疑念が弾けたのだ。ただ体調を気遣って断っただけの私の行動が、彼らの中では、他の明確な理由で私が水を飲むことを拒みだしたのでは?という、つまり「カーストによる拒絶」と結びついてしまう。幼い子どもたちの心にまで、これほど深く「自分たちは他者から忌避される存在なのだ」という痛みが刷り込まれている。井戸が使い分けられているという物理的な事実以上に、相手の何気ない拒絶に身構えてしまう子どもたちの不信感の根深さに、私は言葉を失った。

「貴方はこの水が飲めないの?」という言葉には、カースト制度が人々の心に植え付ける「拒絶されることへの怯え」と「不信感」が凝縮されています。ただ「お腹がいっぱいだから(後できついから)」という物理的な理由で断っただけなのに、子どもたちは瞬時に「やっぱりカースト(穢れ)のせいで、私たちの水を拒んだのではないか」と疑ってしまった。彼らが日常的にどれほど「拒絶」に晒され、傷ついてきたかが、この一瞬の表情の変化から痛いほど伝わりました。

差別主義に反対する崇高なバフンも存在する

さて、本記事の締めにおいて、実はバフン族にも、ネパールで差別をやめようと宣言されたことを忠実に聞き入れ、差別主義を捨てて平等を尊ぶ人々もいることは、きちんと書かねばなりません。ネパールでは、1962年の新民法典によるカースト差別禁止、そして2006年には共和制移行による「差別撤廃の宣言」が行われました。当時、差別撤廃を社会的なムーブメントとして提起した人々の中には、多くのバフンの知識人も含まれていました。そして、世間でもこのことを真摯に受け止めた人々が大勢います。主に若い世代、そして教育者たちでした。更に、当時絶大な人気を誇ったマオイスト・プラチャンダ(本名プシュパ・ダカル - 彼自身もバフン族)による、カーストを問わないあらゆる人間の積極的な国政参加・ポスト起用も大きな後押しとなっていました。プラチャンダが如何にして全てのカーストが政治に参加できるようにしたか興味がある方は、ネパールの総選挙の仕組み【性別・カースト格差もしっかりケア】もぜひご覧ください。

「良識あるバフンたちの存在」

地方では差別が残るものの、特に、都会の育ちの良い若いバフンの中には、「自分たちの祖先が築いた『カーストシステム』は、近代国家として、そして何より同じ人間として絶対に維持してはならない」と自覚する人が現れました。そのため、都会の学校ではかつての上位カーストと下位カーストが同じ家でご飯を食べることはそれほど珍しいことでもなくなってきています。他には、愛国心が強く、国家が掲げた「平等」の理念を忠実に聞き入れ、実践し続けるバフンもいるのだということは、彼らのためにも記しておきます。

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