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ネパールのカーストまとめ

この記事では、ネパールのカースト制度の全体像を、現地で感じることを交えおおまかに解説してゆきます。昨年からネパールのカースト制度について部分部分書いてきましたが、今日はそれらをいったんまとめます。

ネパールでカースト制度が廃止されたのは1962年です。廃止から半世紀以上が経ていますが、今もネパールでは互いのカーストについてある程度知っている人がほとんどです。それは序列意識と言うより、各民族ごとでそれぞれ独自の生活スタイルがあるため、単純にそれぞれのカーストを知ることは日常のなかで必要な場面もあるからです。くすぶっているのはそこに上下をつけていた問題でしょう。

カースト制度とは?

カースト制度は早い話が血統主義です。アーリア人を軸とする秩序であり、人々を生まれで分断し、階級化しています。階級にそれぞれの決まりを定め、その決まりに則って生きることだけを本分とするのです。これは、社会的に特権化した集団の上位性の維持に変質してゆきました。知識は独占され、平等な機会が失われたということです。

ネパールでカーストとは名字のことです(ネパール語ではタールと言います)。多民族国家ネパールには、それぞれ民族独自の名字があります。各民族を階級化してまとめる制度では、名字(カースト)で民族が分かり、民族で階級が分かる、ということでカースト制度と言ったりします。ネパールではこの身分制度全体をジャーティと呼びます。階級はヴァルナと呼び、職業をもとに定められ、ブラーミン(司祭)、クシャトリヤ(武人)、ヴァイシャ(平民)、スードラ(労働力)の4種類と定められていました。

カースト制度のヴァルナ

  1. ブラーミン

    神が原人の口から作りたもうた階級で、ヒンドゥー教の僧侶、教師、知識人の人々といいます。
  2. クシャトリヤ

    神が原人の腕から作りたもうた階級で、兵士、王族、役人、支配者階級の人々といいます。
  3. ヴァイシャ

    神が原人の腿から作りたもうた階級で、農民、商人、自由業の人々といいます。
  4. スードラ

    神が原人の腿から作りたもうた階級で、労働力、職人、工人の人々といいます。
このうち、1と2はアーリア系であることが条件です。カースト制度の職業については実際にはブラーミンなども子々孫々人数が増えてゆくとみんなが司祭をやるわけにもいきませんし、みんなが役人なんてありえませんから、通常は階級(ヴァルナ)は世襲、稼業は自給自足農家であることが一般的でした。
ブラーミンはネパールではブラーミンもしくはバフン(バウン)と呼んでいます。クシャトリヤはチェトリ(チェットゥリー)と呼んでいます。

カースト制度はいつどのようにネパールで展開したか

カースト制度がいつネパールに入ってきたか、正確なところは分かっていないようです。ネパールにインドアーリア系の集団が早い時期から入ってくるのは地勢的に自然で必然的であります。5世紀にはアーリア系のリッチャヴィ朝がネパールにありました。そのころはどうだったか分かりませんが、カースト制度はアーリア人の文化もろもろが徐々に広がるのと一緒に、そして政治的な思惑からも導入が進み、独自の形態へ発展していったと考えられます。信仰とセットになったこの身分制度は、人々の心の奥底深く根をはり残ることになりました。

メジャーなカースト制度は少なくとも3つあった。

19世紀ごろまでにネパールには独自のカースト制度を持つメジャーグループが3つ存在していました。ネパールの地図を見ると分かりますが、だいたいで言うと、北半分は山地、南半分は平原です。この山地と平原にそれぞれ異なるカースト制度がありました。そしてさらに、カトマンズ盆地にはネワール人が多く住み、ネワール人のカースト制度がありました。
  1. 山地のアーリアグループ(パルバテ・ヒンドゥー)のカースト制度
  2. 平地のアーリアグループ(マデシ)のカースト制度
  3. カトマンズ盆地に栄えたネワール族グループのカースト制度
以上の3つのカースト制度がネパール内に並立していました。

ネパールカースト制度に取り込まれていない人々もいた

非ヒンドゥーのモンゴロイド諸部族は本来カースト制度に従属していませんでした。まだ国家という概念が希薄で、地域の独自性が強く、カースト制度を持つアーリア集団や、持たないアーリア、非ヒンドゥー、モンゴロイドなど各集団が地域ごとに並立していたのです。有力な勢力であったマガールやライなどは、18世紀後半にネパール王国ができる以前は独自の王国をもっていました。彼らは19世紀にネパール王国が統制を強めるなかで弱体化していったと考えられています。極東のライ族などはいまもってカースト制度に従属した覚えはないと主張しており、このことをネパール政府も認識しているといいます。実際、ネパール王国を興したナラヤンシャハはライに撃退されています。また、スードラとされる階級も、その身分は地域によって不一致し、ある地域ではスードラとされるカーストが、他の地域では非スードラであることもありました。同じカーストが地域次第では異なる扱いを受けることがあったのです。

ネパールに存在した諸カースト制度の統合

1854年、ネパール王国は、前述した3つのメジャーなカースト制度を一つに束ねて最終的なものとしました。一番有力だった山地のアーリアグループ(パルバテ・ヒンドゥー)の社会の伝統や慣習がネパールを統治する法の土台になり、カースト制度も彼らパルバテ・ヒンドゥーのカースト制度を母体にして、平原グループ(マデシ)のカースト制度とカトマンズ盆地(ネワール族)のカースト制度を取り込む形となりました。さらに、カースト制度を持たず属さずであったモンゴロイド諸民族も、今回公式にカースト制度に組み込まれました。

以上カースト制度のことも含め、ネパールの諸々の法が再整備され1854年ネパール王国が公布した新国家法典に明記されました。この法典は今でいう憲法のようなもので、ネパールではムルキー・アインと呼ばれます。当時のネパール王国がどういった国かを規定した書です。そのなかで、上述した新たなカースト制度も明記されたということです。

カースト制自体はそれ以前からすでにネパールにあったわけですが、1854年に"国家"が改めてその他諸々の法と一緒にカースト制度も"正式に公布"しました。

ムルキー・アイン (Mulki Ain)

このムルキアイン法典は、時のネパール王国執権ジャン・バハドゥル・ラナが公布しました。 ジャン・バハドゥル・ラナは欧州視察もした人物であり、"国民"と"国家"という新しい概念に触れていたはずです。 しかしムルキ・アインで定めたのは国民を分断しているカースト制度の廃止ではなく、カースト制度の統一でした。また、法律も旧態依然たるアーリア系民族の慣習が土台になって作られていました。彼は、近代化を迫られる世界情勢のなかで、欧州を視察したあとも、社会の構造をカーストや人種でとらえる思考から脱皮できなかったのです。或いはむしろ、欧州視察によって改めて人種主義に触発されたのかもしれません。カースト制度は身分によって刑罰が加減され、人々を理不尽に格下げしたり、偏見を生ませ、無関心に放置、或いは辛らつに抑圧して負の連鎖に閉じ込めたため、今も人心の離反と社会進出の停滞を生んでいます。カースト制度についてはとても評価できるものではありませんね。

新国家法ムルキーアインのできた19世紀末の日本と言えば

19世紀末といえば、日本は幕末です。使節団を欧州に派遣して、"国民"が一丸となった"国家"という新たな概念に触れていました。彼らは欧米に屈服した中国の姿と、そして欧米の強大な国力を見せ付けられ、明日はわが身という危機感を抱いていました。日本では武家社会を終わらせたのは武家自身でした。そうして、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」時代へと入ってゆきます。一方、ネパールはすでにイギリスの保護国になっていたので、情勢に対する感じ方はかなり異なっていたのではないでしょうか。

丘陵のカースト制度 +(平原のカースト制度ネワールのカースト制度)= 新カースト制度(ムルキー・アインのカースト制度)

というのが以上までの流れです。ですからネパールで一般に言うカースト制度とは、この新カースト制度のことです。1962年に廃止されたこのネパールのカースト制度は、1854年にムルキ・アイン法典によって、ネパールで一番最後にアップデートされ、一番最初に公式化したネパールのカースト制度と言うことができます。

ですのでネパールのカースト制度が始まったのは1854年と聞いて、廃止されたのが1962年だとその期間は106年、そんな短いの??と思う人もいると思いますが、実際にはそれ以前からずっと存在してきたものだったのです。

他勢力にしてみれば当時はどうしようもなかった?

ネパールには色んな民族が入り込んでいます。そのうちの一つヒンドゥー系の人々が、彼らの中で序列制度を持っていたとしても、他の民族にしてみればそれはただの異なる風習をもった人々でしかありません。ヒンドゥー側がいくら他人を蔑視しようとそれはローカルルールに過ぎず、単純な話そこに効力はありませんし、他の民族は誰も聞きません。
しかし、これが徐々にヒンドゥー系の人々が増えて行き、あちこちヒンドゥー系に囲まれるようになると話は変わってきますね。他の民族は孤立したような格好になってゆきます。
ヒンドゥー系の外にいたのが、いつのまにかヒンドゥ系社会の中にいるも同然になってしまったわけです。
そして、いつのまにかヒンドゥー系のルールが国の決まりであると発表されたとしたら。

ネパールカースト制度の中身

身分の上下と貧富は比例していません。位は高くても貧農はたくさんいました。 ところが上位カーストは例え貧しくとも、商人カーストや金を扱うカーストの裕福な者と婚姻することはなかったそうです。貧しくとも平民とは決して婚姻しなかった武家と似たようなものかと思います。
最終的なネパールのカースト制度のおおまかな規定は以下のようなものでした。
人間を5つの身分に分類し、さらに各身分内でも序列が細分化されていきます。下に示す序列1位のタガダリを見てください。カースト制度の階級序列1位のタガダリですが、タガダリ階級内の序列はブラーミンが1位、クシャトリヤが2位、といったように序列があります。そしてさらに、ブラーミン内でもまた序列が存在するのです。
  • 序列1タガダリ(神聖な紐を帯びる者)

    ブラーミンとクシャトリヤです。
  • 序列2マトワリ(奴隷化できない平民)

    マガール、グルン、ライ、リンブーなど
  • 序列3マトワリ(奴隷化できる平民)

    タマンなど
  • 序列4パニナチャルネ(不浄だが触れることは可能な者)

    水は共有できないけど、ボディタッチは可
  • 序列5パニナチャルネ(不浄で触れることも不可能な者)

    水の共有もボディタッチも不可です。
ここでいう不浄とは、水の共有をできるかどうかという点でした。
マトワリはヴァルナをヴァイシャとするものが属していますが、同じヴァルナでも民族(カースト)によって2ランクに分けられていました。

ネパールカースト制度序列1位タガダリ

序列1の神聖な紐を帯びる者という意味は、ブラーミンとクシャトリヤが素肌に袈裟懸けしている綿の白い糸のことです。これはジャナイと呼ばれ神聖なる糸と考えられていて、これをつけることで一人前の神聖なヒンズーマンである証となる。そんな彼らは酒を飲んではならないカーストということになっていました。実際は酒好きで隠れてこそこそ飲んでいる者も多く、或いはふっきれて飲みまくり、いつも酔っ払っているような人もいます。第1ヴァルナのブラーミンと、第2ヴァルナのクシャトリヤが入っています。ヒンドゥー教の司祭になれるのはブラーミンだけとされています。クシャトリヤだけはそんなブラーミンからジャナイをもらい身に帯びても良いとされています。

ネパールカースト制度序列2,3位マトワリ

序列2と3はマトワリと呼ばれ、酒を飲んで良いカーストということになっていました。
飲まなければならないわけではありません。飲んでいても白い目で見られることはないということです。ネパールで最も庶民的な生活をしている人々で、人種はモンゴロイドやそれに近いもの。もともとアーリアグループに属していなかったわけですが、アーリアグループ(パルバテヒンドゥー)体制下で新たに中間層に組み込む形になりました。すでにあったカースト制度のなかで新たに組み込まれるのに、奴隷より上の中間層になったというのは、よほど高位カーストは同じアーリアグループにいた低位カーストに対する差別心が強かったのでしょう。

ネパールカースト制度序列4位パニナチャルネ

序列4以下は不浄カーストとされ同じ水を共有することは許されていませんでした。とても酷い話ですね。同じ井戸を使用することも不可能です。どうしても使ってしまった場合などは、リンチにされていたというのです。 たびたびそういう事件が起きていました。また、労働力というより、実際には奴隷のような扱いを受けることもありました。また、法を学ぶこと、聞くことも禁じられていました。

ネパールカースト制度序列5位パニナチャルネ(不可触)

序列5は不可触民と呼ばれ、冒頭で述べた4つのヴァルナにも入らないアウトカーストとされていました。鉄工(武器職人も含む)・皮革産業・音楽職人・洗濯職人・土器職人・織物職人・清掃員などがその身分に落されていました。 彼らには以下のような過酷な環境にさらされていました。
  • 市民として平等な権利が認められない。そもそも市民として認められない。
  • 彼らはヒンドゥー教徒でありながら、多くの地域でヒンドゥー教寺院に入ることも許されない扱いを受けていた。 (以前の記事でも書いています)
  • 不可触とは文字どおり、触れてはならないということで、もし触れた場合、上位は行水して身を清めねばならない、もし家に入れば、座った場所を水で清めねばらない、という差別的なことが実行されていました。生活に支障をきたすレベルですね。
  • 異ヴァルナの婚姻は基本的に禁止されていましたし、下位カーストが上位カースト女性と姦通すると厳しい処罰をうけていました。 にもかかわらず、上位カースト男性が不浄としている売春カーストの女性を抱く、つまりボディタッチすることはあったというのです。
  • 高位がいる同じところにいたり歩いたりしてはならない。低位がとがめられるか、高位が自ら距離をおいて行水しにゆき、身を清めなおしていたというのです。
  • また、ダリット女性はレイプのターゲットになることも多く、数多くの心的・物理的なバイオレーションにさらされていました。

ダリット(不可触民)

カースト制度で最下層という身分に配置され、人として充分な扱いをうけていませんでした。この傷つき倒れた人々を助ける者はいないまま、何世紀にもわたってさらなる暴力にさらされていた人々です。ダリットと言うのは差別語ではなく、差別されてきた人々を差別的に呼ばないために総称した言葉です。現在では、不可触とされた民はダリットは法のもとに保護されています。また、一時金の支給や、医療費免除など、さまざまなダリットへの優遇策がとられています。カトマンズでダリットを差別する人はまずいないでしょう。しかし、発展した都市を外に出ると、まだまだ差別意識の根強い村々がたくさん残っています。こういった差別解消の取り組みのために、学校で子供達には新しい教育がなされていて、世代が若くなるについれて差別意識、階級意識が希薄になってきています。自分の階級が何しらない子供も増えていますし、大きくなっても自分のカースト以外知らない青年も増えています。 冒頭で述べたとおり、ネパールで生きる上では、民族語との風習の違いがありますから、成長するとともに、社会のなかである程度カーストについて知っていくのは必然的な流れのようです。
2011年、ダリット人口は360万人という調査結果になったそうですが、実際はそれより多いと考えられています。ネパールの人口が3000万人ですから、360万人と言うのは非常に大きな数字です。ダリット差別の撲滅は大きな課題となっています。

ネパールカースト見分け方

ネパールのカーストは見分けることができます。カーストの見分け方は単純で、民族衣装(見た目)ではっきりと認識できます。どの民族も個性的で綺麗な民族衣装をもっていますので、ここで紹介します。

タルー族

白いサリー

ディマル族

本当のディマールドレスはブラウス着用せず胸元から上は素肌

タマン族

下はロングスカート調

グルン族

ガリャックというベルベッド調の布で胸元から膝まで覆うように着る

マガール族

肩に白いスカーフ

シェルパ族

他のネパール民族衣装と根本的にデザインが異なる。

パルバテ・ヒンドゥー

(バフン・チェトリ・ダマイ・カーミなど丘陵のアーリア人グループ)

ネワール

黒と白と赤
以上が、ネパールのカースト制度の全体像のおおまかな内容です。

ヒンドゥーのほころび

カースト意識を消してゆくと、最終的にはヒンドゥーの否定につながりかねません。例えば異カースト間の婚姻はすでにヴァルナを基本とした血統主義に反しています。しかしカーストを理由に差別することは罪となります。こういったジレンマがあります。

キリスト教徒や仏教徒の増加

カースト制度の差別の影響は、ネパールにおいてキリスト教徒や仏教徒の増加という結果につながっています。信じても自らを下位とするヒンドゥーでは救われない人々が、キリスト教の教義によって心の救済を得ているからです。ネパールでは教会がいたるところにできていることに驚くでしょう。教会は苦痛を背負い身を捧げた救世主キリストの話をするだけでなく、慈善活動として物質的な救済もしています。これを金で信仰を買うと批判する声もでていますが、教会は恵まれない人々に衣類や、時には生活に必要な金銭援助も行うなど、なにもしないよりマシですし、ヒンドゥー教徒自身の考えを改めさせる契機にもなっています。仏教も同じように物質的な支援や、子供達に学習機会を与えています。
直接的、間接的に世のためになっているのです。
しかし・・・、

ネパールの改宗禁止法

2006年、ヒンドゥー教はネパールの国教ではなくなりました。上述のように、あらゆる宗教がネパールで精力的に活動しています。ところが2015年、ネパールは憲法で再び改宗を禁止してしまいました。そして2017年には『改宗禁止法』を作り、改宗を勧めたものは罰せられることになりました。
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