ネパールのカースト制度の歴史と部族の序列・職業を解説

ネパール

カースト制度は人々を人種や民族・部族ごとに階級化し、職業が定められ、延々と世襲させた身分制度です。現世の善行(ヒンドゥー教義の実践)により来世はもっと良くなるという信仰によって維持された制度であり、ヒンドゥー教信仰が無いと成り立たちません。そのため先住民族にヒンドゥーへの改宗を迫った弾圧なども行われました。カースト制度により各部族が混ざり合うことがなかったため、現在もネパールには123の言語が残っていますし、部族ごとに特有の苗字があります。そのため、人々は相手の苗字で部族や階級まで知ることができます。また、ネパール人が信仰するヒンドゥー教では司祭になれる部族が定まっていたりなど、カースト制度は宗教と密接な関係にあることや、カーストごとで生活スタイルが異なるため、今もある程度の知識を持つことが必要となっている側面まであることが、カースト意識が消えない理由になっています。一方でダリットと総称される低い階級への過酷な差別・暴力が蔓延した弊害もあります。ネパールでカースト制度が廃止されたのは1964年ですが、ダリット(被差別層)差別が違法になったのは2011年のことです。廃止から約半世紀後に被差別差別が違法になった点を見ても、いかにこの身分制度が尾を引いているかが分かると思います。本記事ではそんなネパールのカースト制度の歴史と部族の序列・階級ごとの職業ついて詳しく解説していきます。

ネパールのカースト制度の歴史

ネパールの衛星写真

ネパールが建国されたのは1768年のことで、それ以前にはネパール各地に色んな王国が並立した状態にあり、ヒンドゥーの国もあれば、キラット教の国もあれば、仏教の国もありました。ヒンドゥー教の始まりはインダス文明の地、つまり現在のパキスタンあたりだったと言われ、徐々にインド大陸全域に広がったと考えられており、現ネパールがある地域も当然その一つとしてヒンドゥー教が入ってきました。少なくとも西暦400年ごろにはすでに現ネパール領内にリッチャビという国がありカースト制度が存在したことが分かっています。また、それからずっと後の西暦1500年代、イスラム教のムガル帝国がインド全域を統一した時にも、イスラム教への改宗を拒んだ多くのヒンドゥー教徒がネパール含むヒマラヤの丘陵地帯に逃げ移り住んだと言われています。更に、1600年代にはムガルによる支配を受けていないヒマラヤ山脈沿いの丘陵ヒマーチャルプラデスやウッタランチャルからもクマイブラーミンなどのヒンドゥー教徒たちがネパールに入植したこともありました。このような経緯で次第にヒンドゥー教徒は非ヒンドゥーの先住民よりも人口の多数を占めるようにになっていきました。

忍び寄るカーストの魔の手

ネパールには色んな民族がいたわけですが、そのうちの一つヒンドゥー系の人々が彼らの中で序列制度を持っていたとしても、他の民族にしてみればそれはただの異なる風習をもった人々に過ぎず、ヒンドゥー側がいくら他人を蔑視しようとそんなローカルルールに効力はないし誰も聞きません。しかし徐々にヒンドゥー系が増えて行き、囲まれるようになると話は変わります。他の民族はヒンドゥー系の外にいたつもりがいつのまにかヒンドゥ系社会の中にいるも同然になり、そして遂にヒンドゥー系のルールが国の決まりであると発表されたと考えると、他民族にしてみたら迷惑な話ですね。

ネパールのカースト制度の階級と職業・制約

18世紀、ネパールの中部にあったゴルカ王国は西へ東へ侵攻を繰り返し、1768年に現在の領土を占めるネパール王国を建国しました。このゴルカ王国はネパールの丘陵地帯のアーリア系ヒンドゥー教徒が用いていたカースト制度をネパール全体に敷きました。更に1854年にはこれをネパール王国の憲法ムルキー・アインにわざわざ明文化してしまっています。その階級と職業を序列順に下に記します。

1854年ネパール王国憲法に明文化された丘陵のヒンドゥー教徒(パルバティヤス・ヒンドゥー)のカースト制度
階級 職業・制約
バフン 職業は司祭、テクノクラート、警察、武装警察、学者、政治家、研究者、教師、(時々軍の高官も)などに多い。しかし職が無限にあるわけではなく貧農も多かった。職に就けば裕福になりやすかった。
チェトリ 職業は兵士、王族、役人、支配者階級でネパールではチェトリと呼ぶ。バラモンと同様に政治家も排出する。主に軍に特化した階級だが形骸化しており、特に近代以降は中間層のモンゴロイド諸部族のほうが軍隊のイメージが強くなっています。
サニャシ ヒンドゥー教の修行に励むグループが起源だが司祭になれるわけではない。
マトワリ(ジャナジャティ)/奴隷化不可 奴隷化されることがなく、職業は農民、商人、自由業の階級。
マトワリ(ジャナジャティ)/奴隷化可 違いは奴隷化され得る点。職業は農民、商人、自由業の階級。
ダリット(パニナチャルネ)/水共有不可 不浄の階層とされ、職業は特定の労働、職人、工人などの専門職に多い。水の共有禁止、生物の受け渡し禁止、法を学ぶことが禁止、ヒンドゥー寺院に立ち入り禁止されていました。
ダリット(パニナチャルネ)/不可触・水共有不可 不浄の階層とされ、職業は特定の労働、職人、工人などの専門職に多い
第6層と同じく禁止事項を課せられていたが、更に体に触ることも禁じられていたため不可触民と表現されることもある。本来アーリア系だがカースト意識に無頓着なンゴロイド諸族との婚姻が増えてきて、最近はモンゴロイド的な顔立ちも増加。

これら各層は内部で更に序列が細分化されています。例えば司祭階級のバフン族内部でさえウパッデやジャイシ、ガイン系列、苗字の末端がデルで終わる姓などのランク付けがあります。ここで注意したいのは、ネパール人は誰もが自給自足の農業をしていた点であり、上の階層と職業が表すのは、あくまで就職するなら上記の職につくことになっていたということであり、職が各階層のために常に際限なく用意されていたわけではないことです。実際、司祭階級でも日頃は農業で貧しい暮らしをしている者がほとんどでした。それから、清浄と不浄の概念があるため、今でも大勢に振る舞う料理は上位カーストが作るらなければならないなど、潜在意識に尾を引いています。今も農村では井戸をカーストで分かて作ってあるところもあります。下記、その他の特徴をリストします。

  • バフンに警察が多いのに対し、チェトリは軍に多い。
  • 下位とみなされた丹治職人階層の中でも貴金属を扱うカーストは裕福な者が多い。
  • 3~5は中間層ですが、ヒンドゥー教徒でない途中で取り込まれたモンゴロイド系民族も含まれています。
  • 資産で身分が変化することはありません。
  • 職に貴賤があり、階層ごとにふさわしい職の概念がありました。
  • 下位階層は不浄とされ、水の共有、生物(なまもの)の受け渡しが禁止されていました。
  • 下位階層は法の勉強を禁止されていました。
  • バフンとチェトリは素肌にヒンドゥー教徒の高位が身に着ける白い糸(ジャナイ)を袈裟懸けしています。タライ平原に多いマイティリ系やカトマンズの原住民だったネワール系も族内の基準で白い糸を帯びていることがあります。

1854年新国家法典ムルキー・アイン(当時のネパール憲法)を作った中心人物のジャンガ・バハドゥル・ラナ(宰相)は欧州視察もした人物で、"国民"と"国家"という新しい概念に触れていたはずですが、新たに作った憲法ではカースト制度の廃止ではなく、わざわざ明文化してしまいました。ジャンガ・バハドゥル・ラナは近代化する世界情勢の中で欧州を視察した後も、社会の構造をカーストや人種で捉える思考から脱皮できなかったようです。

1854年といえば日本は幕末。列強を前にし"国民"が一丸となった"国家"という新たな体制を模索する人々が出始めました。彼らは欧米に圧迫される世界の姿と、欧米の強力な軍事力を見せ付けられ、明日は我が身という危機感を抱いていました。内部の衝突を避け大政奉還、無血開城を成して維新を達成し、支配層自身が武家社会を終わらせています。一方ネパールは既にイギリスの保護国になっていたので、世界情勢に対する感じ方が異なっていたかもしれない。

カースト制度の職業差別

カースト制度では次の職種が賎業とみなされ、被差別層によって担われていました。鉄工(武器職人も含む)、精油、皮・革靴産業、音楽職人、洗濯職人、土器職人、織物職人、清掃員などです。いずれも生活に欠かすことのできない分野です。

各部族内に更に非公式のカースト制度がある

さて、ネパール全体の公式版カースト制度とは別に、各民族内部にも独自のカースト制度があります。少数民族のタカリ族やグルン族にさえ苗字ごとのグループが存在し序列がありました。その中で、比較的人口が多く、細かく細分化されたカースト制度を持っていたのがネワール族やタライ平原のヒンドゥー教徒(マデシ)などです。例えばネパールのカースト制度で中間層ヴァイシャに属するネワール族ですが、ネワール内だけで通用するブラーマン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ、アウターカーストなどの階級が存在しています。カトマンズでは先住民ネワール人の人口が多いため遭遇することも多く、カトマンズにいる時はこんがらがりがちですが、俺はブラーマンだと言うネワール人がいても、それはネワール族内での階級を言っているのであって、ネパール全体のカースト制度との互換性はありません。タライ平原のマデシの人々の序列も同様です。ネパールは各民族それぞれの部族意識が強いため、この様な族内カースト序列が今日まで存在しています。

ネパールでカースト意識が無くならない理由

ネパールでカーストを差別的な理由で捉えている人はずいぶん減っているにも関わらず、カースト意識そのものは一向に消える気配がないのはカーストによって生活の仕方が違うからです。例えばタマン族、マガール族などにはそれぞれに独自の暦があり、新年を祝う日が他のカーストと違ったり、或いは、バフン族はバッファローや豚の肉を食べなかったり、ネワール族はバッファローも食べるし人目を気にせず独自の酒も飲んだり、など、つまり差別的な意味とは違い、相手と社交するためにもカーストに対する知識が必要だからです。カーストについての予備知識を持つことは、一般常識と言っても過言でない状況が、ネパールでカースト意識が一向に減退しない理由になっています。

ネパールのダリット差別

実はダリットという言葉自体は差別語ではなく、被差別層を差別的に呼ばないために新しく作られた言葉です。ダリットは"階層外"とみなされ、平等な権利を認められていませんでした。具体的には以下の様な過酷な差別に晒されていました。

  • 水の共有を禁止されたダリット達は生活用水を汲む公共の井戸も触ってはダメ、どうしても使ってしまった場合などはリンチを受ける事件が度々起きていました。
  • ヒンドゥー教徒でありながら、ヒンドゥー寺院に入ることを許されませんでした。
  • 他のヴァルナとの婚姻は禁止されていました。
  • 下位カーストが上位カースト女性と姦通すると厳しい処罰を受けるかリンチを受けていました。
  • 不可触とは文字通り触れてはならないことで、仮に触れた場合、上位階層は行水して身を清めたり、座った場所を水で清めていました。同じ所にいることも嫌悪され、咎められるか高位が自ら距離を置いて離れるほどでした。
  • にも関わらず、上位カースト男性が低位カースト女性にボディタッチすることはOKでした。売春カーストはその典型例です。
  • ダリット女性はレイプのターゲットになることも多く、数多くの精神的・物理的なバイオレーションに曝されていました。

とまあ、ここまでいくと滑稽を通り越して双方が生活に支障を来すレベルです。カースト制度は身分によって刑罰が加減され、人々を理不尽に格下げしたり、偏見を生ませ無関心に放置、或いは辛らつに抑圧して負の連鎖に閉じ込めたため、今も人心の離反と社会進出の停滞を生んでいます。

ダリット差別問題の解消が急務

ダリットへの差別や暴力は今も時々起こりニュースになっている。しかしそれが問題視されていることに進歩が伺える。人として充分な扱いを受けられず、傷ついて倒れても助ける者もいないまま、何世紀にもわたってさらなる暴力にさらされていたダリットの問題を解消するべく、今では行政や各国の団体が動いている。2011年ネパールのダリット人口は360万人との調査結果が出たそうだが、実際はもっと多いとも考えられている。ネパールの人口が2900万人だから360万人は非常に大きな比率で、ダリット差別の撲滅が大きな課題と見られている。

ダリット優遇策

現在ダリットは法の下に保護されています。平等教育や一時金の支給や医療費免除などさまざまな優遇策がとられ、意識向上した都市部ではダリット差別がかなり薄れています。田舎の方ではまだ差別意識が根強い所もありますが、都市から地方へ波及するタイムラグは多少あるでしょう。

教育によるカースト意識の変化とジレンマ

学校では子供達に新しい教育がなされ、世代が若くなるにつれて差別意識、階級意識が希薄になっています。ネパールで生きる以上、カーストごとの風習の違いを何れ目の当たりにし、ある程度カーストについて知っていくのが必然になっていますが、異なる習慣として受け入れ、差別には傾かない傾向が増しています。

ヒンドゥー棄教と改宗禁止法

  • 2006年ヒンドゥー教はネパールの国教ではなくなり、あらゆる宗教がネパールで精力的に活動してきました。
  • 2015年ネパールは憲法で再び改宗を禁止してしまいました。
  • 2017年には"改宗禁止法"を作り、改宗を勧めたものは処罰対象になりました。キリスト教布教者が逮捕されたこともありました。(釈放済み)

ヒンドゥーの理念に基づいたカースト制度の遂行は、キリスト教徒や仏教徒の増加という皮肉な結果につながっています。信じても自らを下位とするヒンドゥーでは救われない人々が、キリスト教の教義によって心の救済を得ています。今やネパールには至る所に教会ができています。教会は聖書を通して良心の在り方を解いたり、慈善活動として物質的な救済もしています。これを金で信仰を買うと批判する声もありますが、恵まれない人々に衣類や生活に必要な金銭を援助する事は何もしないよりマシで、ヒンドゥー教徒自身の考えを改めさせる契機にもなっています。仏教も同様に、チャリティーのためにタイやチベットから僧が来て物質的な支援や子供達に学習機会を与えています。異教は直接的間接的にネパールの弱者のためになっている様です。昔、弾圧を受けてヒンドゥーに改宗した少数民族がもともと信仰していた宗教に戻るケースもある様です。以上、ネパールのカースト制度について解説致しました。