キルティプル (Kirtipur)|カトマンズ古都の風景・観光スポットを探る
カトマンズ盆地西部にキルティプルという町があります。今はカトマンズの町が巨大化してキルティプルの町と繋がっていますが、もともとキルティプルは一つの都市でした。キルティプールという町の名前の意味は、キルティは栄光、プールは都市、すなわち栄光の都です。この記事では、古くからカトマンズ盆地に栄えたネワール族の都市キルティプールの観光とこの都市に隣接するチョバール地区の観光についてご紹介します。
目次
- キルティプルの遠景
- キルティプルはネワール族の町
- キルティプルの歴史
- カギュ仏教学校(Kagyu Institute of Buddhist studies & Samadhi Incense)
- ウマ・マヘシュワル(Uma Maheshwar)
- バイラブ寺院(Bagh Bhairav temple)
- チランチョ・ビハール・ストゥーパ仏塔(Chilancho bihar Stupa)
- ナガル・マンダプ・スリ・キルティ・ビハール(Nagar Mandap Shree Kirti Bihar)
- アディナート・ロケショール寺院(Adinath Lokeshwar)
- ジャル・ビナヤク寺院(Jal Binayak Temple)
- ウーピー・ランド・アミューズメント遊園地とプール(Whoopee Land Amusement Water Park)
- キルティプルの場所と行き方
キルティプルの遠景
キルティプルはネワール族の伝統家屋が立ち並んだ町で人々の生活の風景がそのままあり、喧騒がなくゆったりとした時間が流れているので、異国感が良く出た観光スポットとして見ることもできます。旧市街は丘に密集しており、区画は細長形状なので端から歩いて順番に見ていけるのも良いです。一人歩きをしていても草臥れた古い家屋群が旅情を誘います。タメルからは少々時間がかかりますので、もし見て回る場合は時間に余裕を見て下さい。あまり観光客が来るエリアではないですが、ネワール族独特の町並みを見て回るには適しています。
カランキから南西を見た写真です。写真の奥の、丘の上の街がキルティプルです。ここはパタンやバクタプル、カトマンズのように古来からカトマンズ盆地に栄えた都市の一つでしたが、今は見ての通りカトマンズの都市圏内で町の境目がなくなっています。ネパール西部に行くとき、カランキを通過中に横に二つの古い塔が建った丘が見えます、それがキルティプルです。
地形は二つの丘がくっつくように左右に伸びています。キルティプル地区の範囲は写真手前のカランキ交差点から南側を見た小高い丘そしてその向こうまで一帯です。キルティプールの丘からはいたるところで眺めのよい空間があり、それらは新しく作ったいかにもな観光型の展望台に立った時の雰囲気より一層旅情あふれる景色になっているので良いです。
キルティプルはネワール族の町
キルティプールはネワール族の町です。ネワール族の文化の特徴は、建物を壁のように連結させて集団で生活することです。他の部族はそういった住み方をせず、一軒一軒間隔を取って住んでいます。キルティプールの町並みもやはりネワール式で一軒一軒がくっついているのが見られます。この連結した建物は古いものは黄土色のレンガで組まれていて統一性があり、昨今のカラフルに塗り上げるネパールの印象とはずいぶん違う、旧時代の美意識が良くわかります。
改築、再建、新築にとってかわられていっていますが、古い本当の伝統的なデザインもまだまだ残っています。保存状態が悪化し現在は朽ちかけの建物もあるため撤去が増えているのは残念なことです。
キルティプルの歴史
キルティプルはもともとラリトプル王国(パタン)の勢力圏にあった都市ですが、1767年にネパール中西部のゴルカからやってきた(ネパール王国を興すプリトビ・ナラヤン・シャハ)の軍勢によって攻撃を受けたことで降伏し、カトマンズで最初にゴルカ王国の支配下になった都市です。キルティプルはゴルカ勢に攻撃を受けた時、激しく抵抗して2度撃退しています。戦いが長期化するなか、3度目の攻撃によって征服されました。ゴルカ勢はキルティプルを征服すると、激しい抵抗をしたことへの見せしめとしてキルティプルの13歳以上の男女全ての鼻をそぎ落としたそうです。当時イタリアから来ていた宣教師も鼻の削がれた町の住人達を目撃しています。またこの戦いから26年後、イギリス領インドからカトマンズを訪問したイギリスの軍人も鼻のない人々を目撃したといいます。
カギュ仏教学校(Kagyu Institute of Buddhist studies & Samadhi Incense)
キルティプルの丘の一番西側にあります仏教施設です。キルティプルの丘を見るとその立派で伝統的なデザインの建物が目立っていて目に入ります。これは一応仏教学校ということを触れておきます。
ウマ・マヘシュワル(Uma Maheshwar)
西の丘の頂上付近にあります。キルティプルの丘を見たときにすぐ目につく建物です。この建物はウマ・マヘシュワルというヒンドゥー教寺院です。マヘショールって言ってるように聞こえます。1655年にシバ神・パルバティ神夫婦を祀るために建立されました。おそらく街の家庭円満を祈願したのでしょう。いまの姿は1982年に修復されたときのものです。
バイラブ寺院(Bagh Bhairav temple)
東西の丘の中間あたりにあります。こちらもキルティプルの丘を見たときにすぐ目につく建物で、バグ・バイラブ寺院です。シバの怒りの化身バイラブ(インドではバイラヴァ、別名:マハーカーラ)を祀るキルティプルの守り神のような位置づけの寺院です。恐怖から守るというとらえかたになっています。最上階に吊り下げられている刀剣は前述ラリトプールの戦闘の際に使われたものです。16世紀ごろに完成したそうです。安産祈願もするようです。
チランチョ・ビハール・ストゥーパ仏塔(Chilancho bihar Stupa)
東側の丘の頂上あたりにあります。キルティプルには仏教施設もあります。これは中世からある古くて小さいですが立派な仏塔です。ネワール族は仏教も信仰してきましたから、ここもキルティプルの人々の心を支えてきた祈りの場の一つです。観光化された観光地も良いですが、こういうのも良いですね。
ナガル・マンダプ・スリ・キルティ・ビハール(Nagar Mandap Shree Kirti Bihar)
東側の丘のふもとにあります。タイ式の仏教施設です。
アディナート・ロケショール寺院(Adinath Lokeshwar)
チョバールの丘の頂上付近にあり、新婚が金属製の食器や鍋を壁にかけて幸せな新婚生活、そして家庭円満を祈願する寺院です。
ジャル・ビナヤク寺院(Jal Binayak Temple)
チョバールの丘の東側の下、バグマティ川沿いにあり、起源は8世紀ごろに遡るとされるガネーシャ神を祀った寺院です。川に向く構図で、川沿いにはガート(火葬場)もあります。パシュパティナート沿いを流れる同じバグマティ川で、この川はやがてガンガー(ガンジス川)に合流します。ネパールではこの川で火葬され流されることは、あの世への良い門出と考えられています。
ウーピー・ランド・アミューズメント遊園地とプール(Whoopee Land Amusement Water Park)
さて、現代ではチョバルはこれが人気です。アミューズメントパークです。たぶんネパール人の女性がおおっぴらに肌を露出させる数少ない場所の一つとも言えます。
キルティプルの場所と行き方
キルティプルへのアクセスにはカランキ経由が最も便利です。タメルからですと、タクシーだと350~500ルピーぐらいで行けます。ただし土地勘のない外国人観光客だと思われ料金を多めに取られるかもしれませんのでご注意ください。タメルから徒歩でいく場合最短で約7kmです。ラトナパーク近辺からキルティプル行きのトゥクトゥクや直行便も出ていますが、英語の標識はありませんし、停車地点も曖昧です探すのに苦労すると思いますので、タクシーを利用しない場合は一先ずカランキまでバスで行ってから歩いて行くのが良いかと思います。