ジャクリに見るネパール人の信仰心・信心深さ

ネパール人は魔女の存在を信じている。
物事が好転しない場合、物事が悪い方向に向かった場合、わりと本気で魔女の仕業だと考える。

魔女が潜んでいると。都会でもだ。

「どこにいるの?」
「どこかに隠れている。」
「見たことは?」
「ない。」
「・・・」

「見た目では分からないんだ。」

「本当なんだって!」

ネパールの農村では今も夜になると魔女が出ると信じられている・・・。


ネパールでは風邪をひいても占い師に行く。
散歩中、妻が「ここの占い師は有名よ」と言った。二十歳の妻は占いは信じないが、四十代以上のネパール人達にとって占いは重要な意味を持つ。ヒンズー教が盛んなネパールやインドでは、悪事は悪霊にとりつかれて引き起こされるという考えがあるからだ。信じる心の力なのか、毎日祈りを捧げる信心深いネパール人にとって、占い師の暗示はものごとを好転させることが多々あるようだ。
住宅街には占い師や祈祷師(ジャクリ)が各エリアにいて家に住まい救いを求めて人々が訪ねてくる。尊敬を集めかなりのお布施を稼ぐようだ。

ジャクリはこのような姿で行う者もいれば、私服で店や自宅に座り、香を焚いてマントラ(お経)を詠唱するだけの者もいる。知人のペンキ屋の主人は店番をしながら兼業としてジャクリもしているのだが、彼の店にはペイントを求める客より、御呪い(おまじない)を乞う人々が列を成す。足が痛い、肩が痛い、赤子が元気ない、などなど、理由はさまざまだ。
私の妻の叔父の実家を訪ねている時も、近所のおばさんが叔父(ブラーミンで以前ジャクリをしていた。)のもとに頭痛がすると言って無料相談にきていた。頭痛薬を飲めとは言わなかった。

人々は夫婦関係、行事の日取り、あらゆることを相談する。私達の結婚も、ブラーミンの妻が慣習にのっとり僧侶に吉日を幾つか尋ね、決めた。

ネパール人の家には日本の神道と同じような、ヒンズーの神棚が必ずある。毎日朝晩祈りを捧げ暮らす彼らにとって神々の意向は優先事項。例えばミルク類(牛は神の生き物)と酒を一緒のテーブルに置くと神が怒るなど、真顔で言う。食べ物にいたるまであらゆるヒンズー教の神のルールがあるのだ。牛は神の生き物、だから首都カトマンズでさえ、幹線道路に寝そべっても許される。人々は牛を避けながら通行するのみだ。例えそれで渋滞が発生しても。

ネパール人は名前もヒンズー教(ヒンドゥー)の神々の名を付ける人が多い。クリシュナ、ラダ、ラクシュミ、ドゥルガ、ビジュヌ、サラサティ、パルバティ、など人通りの多い場所で神々の名前を呼べば大勢が振り返るほど。日本で神々の名前を付けることはほとんどないのではないか。