チェトリ:カース民族母体でネパールのクシャトリヤ

2026/5月/14 ネパールのクシャトリヤ階級であるチェトリのイメージ

チェトリとは、クシャトリヤ(武人)階級であり、内部は王族のタクリと戦士のチェトリに大別される(表記はChhetri、Kshetriなど多種多様)。そのルーツは建国前から勢力を誇った非ヒンドゥーのカース民族だが、ヒンドゥー勢力と協力してクシャトリヤの地位を確立した。本記事は、ネパール最大勢力のカースト「チェトリ」が、山岳民族から国家支配勢力へと変貌した歴史的経緯と、その内面に潜むアーリアコンプレックスや葛藤を徹底検証する。タクリについては別記事で詳しく解説しているのでそちらも参考にして欲しい。

チェトリの起源・カース民族

そもそも12世紀末からインド大陸で起こったイスラム化から逃れたヒンドゥー教徒が大量にヒマラヤ山麓に入ってくる前は、現ネパールの地域の大半は非ヒンドゥーで、ヴァルナによる身分制度という階層による差別主義的な統治ではなく、単純に血統による部族が治める王国がいくつもあるフラットな統治状態。

その中で現ネパールの地域の西部にいたカース民族というのがいた。これも非ヒンドゥーであった。これがチェトリの起源だ。

カース民族はDNA解析でも証明されている通り、人種的グラデーションのある混血集団であり、さまざまな異なる血を引く者たちが、共通言語カース語(ネパール語のオリジン)を話し、シャーマニズムを信仰するという一つの文化を共有する民族だった。更には一時はチベット仏教の影響を受けていた時期まである。つまり、カース民族は、西の山伝いに入ってきた非ヒンドゥーのアーリアが現地の民族と混血し、その濃淡がグラデーション状に多様化した容姿の人々の集合体(民族)だったということ。このカース民族がヒンドゥー教徒の流入によりヒンドゥー化し内部で差別化が起きて誕生したのが、チェトリなのである。

チェトリ誕生の背景

12世紀末イスラム化から逃れたバラモンやクシャトリヤなど様々な人からなるヒンドゥー集団がネパールの地に来た時、現地の人たちとどう生きるか、が課題となった。最初に出会ったのが、現ネパール西部にあった比較的強い国「カーサ・マッラ王国(カトマンズ盆地にあったネワール人のマラ朝とは別物で時代も違う)」だった。そこでヒンドゥーのバラモンはヒンドゥーの聖典を何度も説き聞かせ、現地の王や首長たちを説得し、味方につける戦略をとる。そしてやがてそれは成功した。王族がヒンドゥー教を採用する決断をしたのだ。

と言っても当時、地域の巨大勢力だったカース民族も何の理由もなくヒンドゥー体系を取り入れるわけがない。カース側の最大の目的は、すでにインドで長期的な安定が実証されていた「ヒンドゥー聖典(ヴァルナ制度)」を基幹とする社会構造を輸入することで自らの統治の安定化を強固なものにし、社会を体系化する中で自分たちの権威もより正統化したポジション(=クシャトリヤ)に置き換えていくことにあったのだろう。

つまり、実績のある統治システム(パッケージ)を輸入し、自分たちの権威をブランド化するというのが核心と言えるだろう。

この中で、余所者であるブラーマンが宗教的な序列1位であっても、実権を握っているのはチェトリ(およびタクリ)になった王家であり、むしろブラーマンもチェトリの経済的・軍事的保護がないと存立できないため、両者の間には強固な「もちつもたれつ」の互恵関係が生まれたわけだ。

ちなみにこの時のブラーマンたちがのちにバフン族の内部の一派、プルビア・バフンになっていき、中には現地民と混血する物も自然増加していった。

カース民族の権力者たちがヒンドゥー化を決定したその時に、カース民族の大半が、ヒンドゥー集団のクシャトリヤと合体してチェトリという格付けになった。これが、チェトリの中には限りなくインド系に見える顔や、限りなくチベット系に見える顔、などさまざまな顔がいる理由なのだ。違いはどちらの要素が濃く出たかの濃淡だけ。そしてヒンドゥーに身も心も染まった後からは、ヒンドゥー的観点により、チェトリになったことをいつの間にか本当に「格上げ」と考えるようになり、今日までその主観的な「格」にこだわり続けているということだ。

つまり、他者の態度や社会の価値観を、自分のものとして深く取り込み、その後は、防衛本能の一種として、情報を吟味せず同調し続けた状態である。

彼らが「モンゴロイドに見える」という事実に回答せず、誇らしげに「チェトリ」と胸を張るのは、そこにはヒンドゥー化した時に、結果としてアーリアを優位とした構造改革の歴史的背景があり、その観念から抜け出せないからだ。そのために、彼らは素直に「確かにモンゴロイドは歴史的にも入っているだろう」と言えないのである。

チェトリ人口が多い理由

チェトリの人口が多い理由は、そもそも母体となったカース民族がそのままチェトリに組み込まれた点だけでなく、更に、例えば一般的にチェトリはチェトリと結婚するのだが、仮に異階級と結婚しても、バウンが異階級と結婚した場合、階級がチェトリに落ちた(ダリット階級と婚姻した場合はダリット階級とみなされた)のとは違い、チェトリは他の階級と結婚してもチェトリのままで階級落ちはなかったため、人口が最も増えやすかったというのもあるだろう。

チェトリの人種意識

モンゴロイドに見られることを嫌がる

チェトリは人種的にモンゴロイドと混血しているような顔が多く、若干モンゴロイドっぽさを感じる顔や、ほぼモンゴロイドのような顔まで多種多様。それでもチェトリは一人として自らをモンゴロイドと言う者はいない。これはバフン族にとっても都合が良いだろう。アーリア系を自称し名誉にする兵隊(チェトリ)がアーリアを人口マジョリティにしてくれ、チェトリバウン体制を保証してくれるのだ。どういうことか以下に説明していく。

まず、具体的な会話から話を始めよう。

(ネパールではモンゴロイドのことをモンゴリアンと言っています。モンゴル人という意味では使用されていません。今回は分かりやすくモンゴロイドという言葉に置き換えて書きます。)

ここに一つの例を出そう。私の知人のバウンとチェットリの青年とで茶を飲んでいたときのこと。
「こいつはモンゴロイドか?」
バウンがこのチェトリは何に見えるか、と聞いてきた。
咄嗟の事だったため、正直言うと私は返事を一瞬ためらった。ネパールに長く住んでいるので、チェトリ族がモンゴロイドを格下に見ていて、同一視されたくないという気持ちを持っていることを知っていたから。モンゴロイドとは違うんだと信じるチェトリの若者のプライドを傷つけたくなかった。
「うん。モンゴロイドに見える。」
青年はこれを不服とし、自分はアーリアンだと息を巻いた。しかし海外に長くいたバウンは「海外を知ってりゃわかるが、こいつはモンゴロイドだ」「だが知らないだけだ」と言い放った。チェットリ青年は何とも悔しそうな顔をしていた。モンゴロイドに見られることが彼には耐えられなかったのだ。

実際、チェトリは自分たちの容姿について明確にしない。まず、アーリアでありたい、それはアーリアがカースト制度では上位だったからアーリアでありたいという願望が何よりも優先される。それはかつてネパールがヒンドゥー化していく中で先祖が自覚したアーリア秩序に染まった以上、アーリアであったほうが得だという悟りそのものだろう。いや、どう見たってミックスしてるでしょって顔の人が、聞かれてもないのに「私はアーリアン」と平気で宣言してくる。
何がなんでも「私はピュアアーリアンです。」で思考停止。どう見てもモンゴロイドが入っていると言うと、頑なに否定する。その様たるや、まるでモンゴロイド系は下の階級だから一緒にされたくないとでも言わんばかりでなんか失礼である。 これまでネパールに住んできた中で思うことは、カースト意識が強いバウンだが、人種意識についてはバフンの方が偏見を持たず冷静に見ていることが多い。バフンが持っているのはあくまで自分たちの部族意識。かえって二番手であることや人種が曖昧になってしまっているチェトリのほうがコンプレックスを持っていてやたらとアーリアを自称する。その意味では、チェットリの青年もカースト制で思考を縛られている犠牲者と言えよう。

起源に因果するカースト意識

チェトリは、バウン(ブラーマン階級)を頂点としたカースト体制のなかで最も恩恵を受けてきた。カースト制度の支配を拒んで弾圧されたモンゴロイドより自分たちの方が上のランクだと言う階級意識を持っている。この選民意識は例えばチェトリはそれがどれだけモンゴロイドに見えても、また、親がモンゴロイドであっても絶対にモンゴロイド(ネパールではモンゴリアン)という言葉は避けるところなどに滲み出ている。親の顔がどう見ても異部族である場合、「あれ?別の部族なの?」と突き詰めて聞くと、「いや実は片方の親は別の部族で~、」となることは珍しいことではない。だからあくまで「チェトリです」と答えるのであり、上位カーストであることを暗に示唆する。「チェトリ」という言葉は、見た目がどうであろうと、とりあえずアーリアっぽい区分にひっくるめることができる便利な言葉なのだ。また、田舎のほうに行くとチェトリのバウン崇拝はけっこう本気で、バフン族の習慣、ジャナク信仰、パンディット(バウンの僧侶)崇拝、家の出入りや下位階級への言動にいたるまで、しっかりとバウンのルールに則っている。それでこそ、カースト制度のカードマン(兵隊)としての本分なのだ。

最近は日本にもネパール人が増えているので、モンゴロイドが入ったような顔をしたチェトリを見たら聞いてみるとよい。「あなたはモンゴロイドに見えるよ?」と。必ず、「でも私はチェトリ」という返事が返ってくるから。

カースト体制を拒絶した真のカース、マタワリ・チェトリの存在

さて、かつてカース民族がヒンドゥー化していったころ、自分たちのアイデンティティを固持する選択をしたプライドの高い人々もいた。彼らはブラーマンが説くヒンドゥー聖典よりも土着の神々を信仰し、酒を禁じることよりも好きな物を食べて生きたそれまでのライフスタイルを変えないことを選んだ。血統はまさにカースであり、チェトリになった人々と完全に同質であるにも関わらず、カースト主義は拒絶したことから、その扱いはチェトリの下という格付けになった。しかし血統そのものを否定することはできないため、酒飲みを意味するマタワリという言葉をくっつけた「マタワリ・チェトリ」という俗称が発生した。本来正統なはずのこの本家本元のカース民族、通称マタワリ・チェトリは、チェトリから格下として見られるようになっていった。そして、それから何百年と時が流れ憲法ができた時も、明文化されたカースト制度で彼らの存在がチェトリとしてカウントされることはなかった。彼らは、後に東方へ拡張し最終的にネパール王国を築いた主流とは共に行動しなかったため、今もネパール西部の山奥を主な住処としている。

チェトリの苗字と意味

アディカリ、カトリ(ケーシー)、カルキ、カドカ、カジ、クンワル、ガルティ(ジーシー)、タパ、タクリ、バニヤ、バンダリ、バスネット、ハマル、ビスタ、ボーガティ、ボホラ、ブダトキ、チェトリ、チャンド、ラミチャンネ、マハト(マハットゥ)、マッラ、ラナ、ルワリ、ラウト、シャア、シャハ、サヒ、シング(シン、シィング)

Adhikari, khatri (K.C), Karki, khadka, Kaji, Kunwar, gharti (G.C), Thapa, Thakuri, Baniya, Bhandari, Basnet, Hamal, Bisht (Bista), Bogati, Bohora, Budhathoki, Chhetri (Xetry), Chand, Lamichhane, Mahat, Malla, Rana, Ruwal, Raut, Shah, Shahi, Singh,

苗字が持つもともとの意味を以下に書きます。苗字がそうだからといって、現在その人がその職についているわけではありません。また、マタワリ・チェトリはチェトリ特有の苗字に改編しておらず、特有の名前はなく、もともと同じグループだったチェトリ族と同じ苗字を使用しています。

  • ラナ=高位の軍人
  • アディカリ=指揮する役人
  • カジ=指揮官
  • カルキ=財政の役人
  • カドカ=剣士
  • タパ=国境兵
  • バンダリ=倉庫番
  • ビスタ=男爵
  • チェトリ=戦士(チェトリは階級の呼称だが苗字としてもある)

バウンと被っている苗字もある

  • アディカリ
  • ラミチャネ

ネワールと被っている苗字

  • バニヤ
  • マッラ
  • シング

マガールと被っている苗字

  • ラナ
  • カドカ
  • タパ
  • 他複数

タルーと被っている苗字

  • マハト

サルキと被っている苗字

  • ロカ

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