グルン族|ネパール少数民族のカーストでポカラに多い

グルン族のグルカ兵男性たち

グルン族は親切で交流好きである反面、こだわりが強く我が道を行くタイプの人々だと感じました。自分たちのアイデンティティを示すことが好きな人々でもあります。この記事ではネパールのモンゴロイド系少数民族であるグルン族について、グルン族の村の名前や場所、職業やカースト、グルカ兵に多い理由や、グルン部族の沿革、グルン族の民族性などについて解説します。

グルン族とは?

グルン族の伝統的な服を着て踊る女性たち

グルン族はネパールに100以上いる民族の一つです。ネパールの人口で多数派を占める丘陵のヒンズー教徒に比べると人口が少ない少数民族ですが、ネパールではけっこう遭遇率が高い人々でもあります。(理由は後述)

グルンカースト

かつてネパールでカースト制度が有効であったころ、グルン族は奴隷化されない中間カースト、通称マトワリに位置付けられていました。グルンのほとんどは他のあらゆるネパール人と同じように農民です。ネパール中西部アンナプルナ山群付近のカスキ群やシャンジャ群の山々にはネパールの少数民族グルン族の村が集中しています。他のカーストとの違いは、グルン族は古くからイギリスの傭兵部隊として海外赴任し財を蓄える者がいたことです。グルンとグルカ兵については後述します。

グルンの人々はモンゴロイド系の顔をしていて、先史時代にチベットから来たと考えられています。現在グルン族はネパール第2の都市ポカラがあるカスキ郡では有力な部族になっています。グルン族が有力になった背景は、後述しますイギリスのグルカ兵として採用され外貨を得てきたこと、そして外国に移住した同族によるコミュニティ支援、そしてグルン族で行われている地道な意識啓発集会などがあります。ネパールは多民族国家ですが、集会を開いて部族の在り方を熱心に議論しているケースはあまりありません。グルンは早くから外界と接触してきたのでコミュニティリーダーたちは伝統が消えること、部族の結束が希薄になること、などを危惧し組織力を維持発展することに意識が向けられています。

グルン族の人々は自らをタムーとも言います。「俺の部族では~」というときに「タムーでは~」みたいな言い方です。グルンはチベット語で農耕の民を意味するそうです。タムーは戦士を意味すると言われています。ネパールでは誰でも自分の部族に強い誇りを持っていますが、グルン族はそのなかでも最もグルンらしくに拘った人々だと思います。また国際感覚が強いため抗議活動も行いますし、最近は部族を超えて地域全体のためのソーシャルケアにも注力するようになってきています。そういった大変良い面もあります。

グルン族の村

  • シクレス村 - ポカラからアンナプルナ方面に上った山岳地帯
  • ガンポカラ村 - ポカラからラム順方面に上った山岳地帯
  • ブジュン村 - 同じくラムジュンにある村
  • シダネ村ダムダメ村 - ポカラ市街から見てフェワ湖の対岸にある山にある村々

グルカ兵としてのグルン族

グルン族が所属するグルカの旗

イギリス傭兵部隊グルカ兵(外国に派遣されるネパール人傭兵部隊)

昔イギリスとネパールが戦争した際、最も活躍したのは山岳のモンゴロイド系少数部族たちでした。そこでイギリスはグルン族・ライ族などの勇猛さを評価し外国(イギリス・インド・香港など旧イギリス領全域)で傭兵としての仕事を与えました。結果グルン族は資金力を付けることになりました。今も主に香港やインド、イギリスにグルン傭兵が多く、中には現地で帰化しつつ祖国ネパールとのコネクションも維持しているケースもあります。資金源にもなっていて一層グルンコミュニティに力を与えています。

グルン族の沿革

もともと何もない湿地帯だったポカラに、付近の山々の村からおりて住むようになったグルン族のお金に余裕のあった者たちが家をどんどん建てていくことで町は大きくなっていきました。ポカラの街そのものがグルンと共に発展、グルンの文化的影響を強く受けてきたといっても過言ではありません。前述の通りグルンは外国に赴いて国際的な視野や習慣を身に着けていましたので、ポカラはネパールで最もリベラルな町になりました。経済力を付けたグルン族は政治にも関わるようになっていますし、部族コミュニティの質を向上させることも怠りません。

国内観光業

グルンは文化的に外部の人々を手厚くおもてなしする文化がありました。その才を生かして観光・商業に着手した人々も多くいます。

こういった理由でグルンの人々をビジネスシーンや観光、またはネパール第2の都市でありネパールで最も人気のある観光都市であるポカラに多く住んでいるので遭遇率が高いです。

グルン族の民族性は特にグルン族の村々の造りにも良く表れています。グルン族の村はネパールのなかでも最も几帳面に造られています。その細部までびっしりと並べられた石畳を見ればグルンの村であることが一発で分かるほどです。

故郷の過疎化と若者のアイデンティティ希薄化

グルン族の老人

そういった面がある一方で、グルンは近年ギャングとしても力を伸ばして生きています。地道な努力で着々と力を付けたグルン族ですが、豊かになりだすとグルンの若者の奔放化が目立ち、親の金を持て余した者の放蕩や、或いは都市でのギャング化などグルン族の誇りにかけた模範的行動にこだわらなくなってきています。ポカラの街はグルン族が発展させましたが、その発展した町でグルンの若者が退廃的な生活を送るようにもなっています。グルン族は今後は独自言語を保つことも課題になってきているほど変化が早くなっています。

ネパール東部のグルンはキラット教信仰

もう一つグルン族が多いエリアがあり、それはネパール東部です。東部のグルン族はキラット教を信仰することからライ族との婚姻を許容しています。同部族内でのみ婚姻を決めてきたネパールではこれは珍しいケースです。(最近は他の部族も異部族との婚姻が増えていますが)