南インドが別の国なワケ:歴史,文化,料理,社会構造,全部違う!
2024/8月/30
インドという一括りで見ようとするからインドが見えなくなる。多様性という名の宇宙とか、神秘とか謎とか、無秩序――と思えてくる。私たちが抱くそんな混沌としたインドのイメージも、そもそもそれは別々の国だから、という視点を持てば、無秩序なのではなく、一つ一つの地域の独自性として捉えやすくなる。今回は南インドについて解説。奥深い謎の世界とみるのではなく、実は根本的な動力源が北インドとは別物ということを歴史・文化・人種の違いで明らかにし、解釈しなおすことで、簡単に理解できるようになります。
【歴史】が違う!イギリスが来るまで一度も「同じ国」ではなかった
インドは歴史の長い国と言いますが、それは一つの国が脈々と続いてきたことと思ったら大間違い。特に北インドと南インドは、19世紀にイギリスの植民地支配によって強引に一つの枠組みに組み込まれるまで、歴史上ただの一度も同じ統治機構に属したことがない、人種も文化も異なる「完全なる別国」だったのです。
1. 「デカン高原」という天然の国境
別々の圏として並立した最大理由は、インド半島の中央を横切る険しいヴィンディヤ山脈と、岩だらけの広大なデカン高原という地理的障壁にあります。太古の時代に北インドを席巻したマウリヤ朝やグプタ朝、そして中世のイスラム大帝国のムガル帝国など、歴代の強力な軍隊にとって、この足場の悪いデカン高原が天然の要塞となり、南下を阻み続けたのです。結果として、南インドは北の戦乱から隔離された安全地帯として独自の発展を遂げました。
2. インド洋の覇者:海に開かれた独立国家
北インドの帝国が陸で領土争いに明け暮れた頃、南インドの国々はまったく別の方向、すなわち「海(インド洋)」を見ていました。11世紀に全盛期を迎えた南インドのチョーラ朝は、インド洋最強の海軍を保有し、ベンガル湾を自国領ように支配していました。彼らの貿易相手、そして遠征先は北インドではなく、スリランカやマレー半島、インドネシアといった東南アジアの海洋国家だったのです。南インドのDNAには、古くから世界と直接つながる「海の民」が組み込まれていました。
3. イギリスがもたらした「人工的な統一」
19世紀、海からやってきたイギリス(東インド会社)が、半島全域の独立国や藩王国を武力と外交で次々と従属させたことで、初めて歴史上に「インド帝国」というインド半島を1つの区画とする行政体制が誕生しました。私たちが現在目にする「インド」という国境線は、イギリスが強引に集めた国々の外周で、それはまるでバラバラの色の布をつなぎ合わせて作った大きなパッチワーク(柄模様の布)みたいなものです。だからこそ、南インドの人々にとって「自分たちは北とは違う」という意識は、単なる競争心ではなく、数千年の独立の歴史に裏打ちされた当然の自負なのです。
【文化・人種】が違う!ドラヴィダの美学
北インドと南インドの境界線を越えたとき、最も直感的に「別の国に来た」と感じるのが、人々の顔立ちや街に流れる空気感、すなわち文化と人種のパッチワークです。
1. ドラヴィダ:独自の歴史・独自の人種が育んだ誇り
北インドの人々が中央アジアや中東からの度重なる侵略と混血の歴史(アーリア系)を持つのに対し、南インドは数千年にわたり地理的障壁に守られてきた先住民「ドラヴィダ系」が主流です。身体的には、比較的肌の色が濃く、小柄ながらも芯の強い体つきが特徴です。彼らは外来文化に上書きされなかった「最も古く、純粋なインドの伝統」を自負しており、その血統と言語(タミル語など)に対するアイデンティティは強固です。
2. 「外向・誇示」の北、「内省・理知」の南インド
歴史的背景の違いは、日々の生活態度や美意識(メンタリティ)に決定的な差を生みました。常に戦乱の危機に晒されてきた北インドの気風が、人脈や富を派手にアピールする「外向的・サバイバル型」だとすれば、南インドは一貫して「内省的・実利型」です。南インドでは、たとえ大富豪であっても伝統的な白い腰布(ドーティ)をまとい、無駄な贅沢を嫌う質素さを美徳とします。「Simple Living, High Thinking(シンプルな生活、高潔な思考)」こそが、彼らの掲げるドラヴィダの美学なのです。
3. 「神話への圧倒的な熱意」
この独自の美学は、エンターテインメントの世界でも大爆発しています。インドで大人気の神話ドラマシリーズなどは、北インドの華美な「ボリウッド」ではなく、南インド映画が発祥。古いヒンドゥー神話のダイナミズムや、家族・地元への絶対的な愛をド派手なアクションで描き切るあの圧倒的なユニークさ、表現力は、南インドの人々のなかに数千年前の伝統がそのまま「地続き」で生きている証拠です。北インドの女優が南インドの映画にチャンスを求めて出演し、それをきっかけとしてインド全体で人気女優になったケースは多々あります。今や興行収入でも、南インド映画が北のボリウッドを圧倒し始めています。
【料理】が違う!米とココナッツたっぷりの美味
「インド人は毎日ナンと濃厚なカレーを食べている」――。私たちが抱きがちなこのイメージは、実は北インドの一部の文化に過ぎません。南インドの食卓に並ぶのは、小麦ではなく「米」、そしてスパイスと調味料が織りなす、まったく異なるグルメの世界です。
1. 「お米とココナッツ」の南インド
北インド料理ナンやタンドリーチキンとは全く別物、南インドは完全な「米食文化」です。年中温暖な気候を活かした稲作が盛んで、料理のベースには豊かな海岸線がもたらすココナッツとショウガに青唐辛子を少し混ぜた組み合わせが定番調味料であり、爽やかな酸味のある果実タマリンド、そしてフレッシュなカレーリーフが使われます。油分が少なく、サラサラとしたヘルシーな味わいが南インド料理の真髄です。
2. 定食「ミールス」と、朝食の主役「ドーサ」
南インドの食を語る上で外せないのが、伝統的な定食「ミールス」です。大きなバナナの葉や丸皿(ターリー)の中心にお米が盛られ、その周囲をサンバール(豆と野菜のスープ)やラッサム(酸味と辛味の効いたスープ)、さまざまな副菜が囲みます。これらを少しずつお米に混ぜ合わせ、自分好みの味を作りながら手で食べるのが現地流です。また、米と豆の粉を発酵させた生地をクレープのように薄く焼いた「ドーサ」や、蒸しパンのような「イドゥリ」など、朝食や軽食(ティファン)のバリエーションも非常に豊かです。これは北インドでは見られない食べ物ですよ!
【社会構造】が違う!カーストの力関係まで違う!
1. 「実利主義」による「知識(IT)」へのシフト
南インドでは、海上交易の歴史から金融や貿易を担う「商業カースト(チェッティヤールなど)」が強大な影響力を持ってきました。彼らは身内同士の強固な「信用ネットワーク」を基盤に、イギリス植民地時代には東南アジアへ進出。国際的な金融システムを構築しました。また、歴史的に反バラモン抗争を繰り広げた土地柄とキリスト教宣教師らがもたらした近代教育が組み合わさった結果、南インド社会は生まれではなく「教育と知識」を最も重んじる気風へと進化しました。南インドの家庭がこぞって子供をエンジニアに育て上げ、現代のシリコンバレーでグーグルやマイクロソフトのトップ(CEO)を独占するまでに至った背景には、知性を尊ぶ南インド特有の社会構造があるのです。
2. 南インド独自のカースト区分
南インドに行くとクシャトリアと言う言葉は通じなくなります。カースト制度がインド大陸各地で若干異なるのは、そもそもイギリスがインド帝国として統一し、それを現在のインドとして継承するまでインドという国は無かったためです。
北と南は国としだkでなく、インド大陸に波及するカースト制度敵にも統一には至っていません。
以前も話した様に、北インドの友人は『この地域では』神聖なカーストと認識されている、という言い方をしていましたが、まさに何気ない日常の一言こそが、地域がバラバラにやってきた歴史を的確に表しています。地域が変わればそもそも階級の呼び名さえ変化します。南インドのテルグ語を話す地域などの庶民にクシャトリヤと言う言葉を投げかけても、それを理解しない人が多くいます。また、南西部などではヴァルナそのものも簡略化された地域もあります。
南インドのパワー序列
南インドのカーストパワー序列は以下の様な構成になっている。
| レッディ | 序列一位 |
| ネイアース | 序列二位 |
| ヴァイシャス | 序列三位 |
| Bc-a | bcとはbackward casteの略 |
| bc-b | padma shali(テーラー)などが多い |
| Bc-c | backward casteのカテゴリA,B,Cと言った括りになっている |
| Sc | scとはscheduled casteの略 |
| Dalit | アンタッチャブルの扱いを受けた人々 |
さて、こう見ると、「ほうほう、レッディが序列1位ね。つまりブラーマンということか」と思うのでは?しかしそうはならないのが南インドの社会構造の面白いところ。実はレッディは地主として強力なコミュニティパワーを持っているものの、ヴァルナはシュードラなんです。そう、南インドはそもそも、ヴァルナによる序列が北インドのような機能を果たしていません。
特徴としては、弱いコミュニティ、つまりヴァルナというよりもコミュニティ力の弱い階級の呼び名が略式でぼかされていますが、その意味は『backward caste=遅れたカースト」など露骨であることや、SC以下はクリスチャンに改宗した者も多い点、南インドのカースト制度序列1位で支配階級であるレッディの人々の顔は北インドのカースト制度序列一位の司祭階級の人々とは顔立ちもヴァルナも異なる点などです。
南インドは大衆を一部のハイカーストが搾取するというカースト構造に立ち向かった反バラモン主義の歴史があり、それによって北インドとは決定的な社会構造の違いとなりました。
バックワードカーストの中のbc-bのpadma shali(テーラー)は織物を扱うカーストですが、バックワードとは言うものの、中にはずいぶんと裕福な物もいて、その財力でもってレッディよりも経済的に自由な生活を送っている者も珍しくありません。
地域によってはカーストに基づく階級と言う考え方は既に時代遅れになりつつあります。若い世代では異カーストの結婚も急増しています。さらに、社会的地位も必ずしもカーストの階級と比例するわけでもなく、実際、アーンドラ・プラデーシュ州にはカプと呼ばれるカーストがありますが、このヴァルナはスードラですが、農業において強力な存在感を示し、財力や勉学によって政界にも影響力を及ぼす有力勢力になっています。
南インドの特にアーンドラ・プラデーシュ州などではカースト差別の議論が盛んに行われており、差別を克服しようとする動きが活発化しています。例えば下位に置かれていたカーストの人々は就職において有利であったり、給料も多少多めに貰える措置が取られている程です。ただし、下位カーストの生活基盤を底上げしようというこの試みは大きな抗議の声も生んでいます。
そんな南インドですが、南インドの名前の順番まで北インドとは異なっています。この機会にチェックしてみてください。
ついでなので、なぜ南インドと北インドでカースト制度が異なるのか、歴史や人種以外にも決定的な違いがあるので、その点を少し補足しておきます。南インドと北インドでは、同じヒンドゥー教であっても、盛んに読まれる聖典が異なります。例えば北ではシュクラ・ヤジュル・ヴェーダ、南ではクリシュナ・ヤジュル・ヴェーダとなっており、それぞれに内容が異なる点があるためです。ヒンドゥーには多くの聖典があり、書かれた時代によって意訳が違ったり一部が紛失したりで内容に違いが出ているそうです。そのため、カースト制度のみならず、ヒンドゥー儀式の行い方にも違いまであります。結婚式の際に司祭を呼んで行うお祈りさえスタイルが違うというところでも、いかに南インドが異なる地域かを感じますね!
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