ムスタン・ジョムソン街道の行き方・民族構成・有名日本人
青々とした野山が広がるネパールですが、ムスタンに来ると景色が一変します。ここはネパールの秘境と呼ばれ、乾燥し岩肌が露出した景色、そこにはインド系の顔立ちはいなくなり、ボテと自称するチベット系の人々のみ、そして彼らの土で作られた民家の屋根には薪が並べられていたり、チベットデザインの仏教寺院が随所に見られるなど、はたまた違う世界に来たような感覚を受けます。本記事ではそんなムスタンへの行き方や民族、ムスタンに名を遺した有名日本人についてご紹介します。
ムスタンの場所と行き方
ネパールで最も人気のある観光地はポカラだが、ネパール人が一度は行ってみたいと思う場所は実はムスタンである。
ムスタンはポカラから出発する路線バスで料金は1300ルピーで行ける。外国人は更にACAPパーミット(料金3000ルピー、入境から有効期限6カ月)を事前にイミグレーションオフィスで取得しておかなくてはならない。また、近辺のアンナプルナなどまでトレッキングをしたい場合は、さらにトレッキングパーミットも取得しておかなくてはならない。私はジョムソン街道沿いの村々を歩いて見て回れれば充分なのでACAPパーミットだけの取得である。
ムスタンはポカラから北へ100キロほど登ったところにある。直線で言うとそれほど遠いわけでもないが、深い山々を蛇行して行かねばならず、バスでも8時間弱かかる。その道は最近やっと車が通れる道路が作られたとは言え道は険しく、岩の山を無造作に削って作った断崖絶壁の道や、未舗装の道に上から湧き水がいくつもの細い滝となって降り被る地点などもあり、雨が続けば崖崩れが起きて道路が寸断されバスの運航がストップすることもあれば、ぬかるんだ細い道から稀にバスが滑ってはみ出てしまい落ちるという惨事が発生することもある。
危険性があるとは言え、車窓から見える景色はなかなかなもので、日本とは比較にならない起伏に富んだ山々の姿に感動を覚える。出発地点標高1400mのポカラからジョムソン街道を北上していくうちに徐々に標高が高くなっていくのと、ヒマラヤからの空気が近づくためどんどん気温は下がっていく。
ムスタンのジョムソン村には飛行場が整備されているが、この地域では強風が吹きすさぶため、飛行は朝だけ、そして特定の季節でのみ利用可となっている。
ムスタンとボテ(チベット系)の人々
ムスタンには二つの地区がある。ムスタン北部は上部ムスタン、南部は下部ムスタンと呼ばれ区分されている。上部ムスタンはチベット人がほとんどであるのに対し、下部ムスタンはタカリ族が多い。
ムスタン北部の人々は自分たちのことをボテと呼び、自分たちのルーツがチベット高原から入ってきたことを明確に認識し、その宗教は仏教徒、暮らし方もチベットに由来するやり方をしていた。今の国境ができるよりずっと昔にチベット高原から溢れ出すようにこの地域にも広がってきて、代々この地域で生きていた彼らだが、ある日、いつのまにかネパールの行政下に編入されたことになり、突然名前を登録しなくてはならなくなった。ネパールの国勢調査スタッフはムスタン地域に住むタカリ族やグルン族、ボテ族、の違いを正確に把握しきれず、正確に識別しようともしなかった。そのため、グルンなのにタカリ姓をつけられた者、ラマ族(ボテ系)なのに他の姓をつけられた者などが発生した。
それに比べタカリ族は仏教徒もいるがヒンドゥー教徒もいて、顔立ちもモンゴロイド的な特徴が濃いとは言え肌は浅黒く目も若干大きいなど、ムスタン北部の純粋にチベットから来た人々とは外見が異なる。ムスタンで元来タカリ族の村であったのは、レテ村、ティニ村、シャン村、チマン村だけとなっている。
ムスタンの民族構成
ムスタン地域に入ってからはジョムソン街道の住人は主に以下の民族グループで構成されている。
- ボテ(ラマ)
- タカリ
- マガール
- ヴィッショカルマ
- ダマイ
ダマイやヴィッショカルマは後から仕事で入ってきて定住するようになったと考えられる。バウンやチェットリーは役所の仕事で来ている人が時々いるいだけで、定住者はほとんど見かけることはない。
この民族構成は町の様子にも影響していてムスタンの村々はいずれもネパールで最も綺麗に掃除されている。綺麗好きさが下界とは全然違う。道端にゴミ箱が置されている町、そしてゴミ箱の中には綺麗にゴミが収まっていて、周囲に散乱していない、というのを見たのはネパールに来てムスタンが初めてである。
ムスタンで有名な日本人
近藤亨 ムスタンでリンゴ栽培を指導した日本人
彼は寒く乾燥したムスタンにリンゴの栽培方法を教えた。彼がムスタンに残した影響は絶大なるもので、ムスタンにリンゴという特産品を誕生させ、リンゴ栽培に携わる億万長者のボテ族も出現するようになった。岩肌がむき出しになった山に囲まれるムスタンに行くと今ではまるでオアシスのように青々としたリンゴ畑をいたるところで目にする。地元の人々で近藤亨さんの名前を知らない者はおらず、感謝と尊敬の念を今も抱かれている。地元の人々と一丸になり、地道で長い試みによりこれほどの恩恵を与え続ける偉人である。
河口慧海 マルファ村に残る日本人仏僧の名前
なんとこの人物は今から120年以上も前にムスタンに到達していた日本人仏僧である。彼はチベット仏教を学ぶためムスタンからチベットへ入境した。そしてチベット語を理解する必要性を感じ一時ムスタンに戻ってきて、マルファ村に滞在しながらチベット語を学び、再びチベットへと発って行った。彼が滞在していたマルファ村の家にはそのことが現地語、英語、日本語による説明書きが残されている。120年前のムスタン、それは徒歩で道なき道を行き、無人の山をいくつ超えてもまだまだ遠い果てを目指すようなもので、想像を絶するものがある。