ネパール人は大変に信仰心が強く、頭痛が出たぐらいでも近くの霊媒師(ネパール語:ダミ・ジャクリ)に見てもらいに行くようなところがあります。運命占いも大好きで、占い師(ネパール語:バビシェバーニ)に手相を見てもらったり、寺院に行って僧侶(ネパール語:プジャリとかパンディト)に悩み事をうちあけ人生相談したり、或いは僧侶を読んで運勢を見てもらったり。日常いたるところで『運』を意識しています。さてそんなネパールでは、人々の心のすきをついた偽僧侶もいます。ヒンドゥー僧侶の恰好をしてそれこそ僧侶になりきっているわけです。狙いはお布施です。運命をみてもらったり、神事をつかさどってもらったお返しとして、人々はお金を僧侶に渡します。偽僧侶はそれで稼いでいます。信心深いネパール人は、日々のなかで何かが起こるとそれを運勢と結び付けて考えるため、ほんとに言われた通りになった!という錯覚を感じやすいようです。それと同じように、いつも占いなどを信じているため、その通りにならなかった場合の失望も大きいようで、あの僧侶はニセモノだ!とか、金を返せ!とかいう問題になることが時にあると聞きます。そして実際にニセモノの僧侶もいるので困ったものですね。
偽僧侶はたいてい取り巻きがいます。訪ねていくとそこには信者に扮したサクラや、同業者僧侶に成りすましたサクラなど、グループがいて集団になって巧みに話を交えながら、抗議の声をはぐらかしていきます。さらに奥の手が神の歌を歌い始めることです。信心深いネパール人たちは神の歌が合唱されはじめると、神の歌をやめろということはできず、終わるまでひたすら待つしかありません。時にはそれでも抗議の声を上げる人もいますが、その場合、歌い声をさらに大きくして歌い続けます。
偽僧侶が来てもすぐには見破れない理由は色んなことをしている僧侶がいるからです。
ヒンドゥーの僧侶は、遠地からやってきた巡礼中の者、町を巡回して家々や商店を一つ一つ訪ねて玄関先で単に「神様のために~」とか言ったりしたり、時には歌を詠唱したり鈴を鳴らしたりしてお金の寄付を求める者、勝手に寺院の一角で一日中座って過ごす者、個人個人が家で行うヒンドゥー儀式に呼ばれて儀式を執り行ってお金をもらう者、或いは特定の寺院によっては専属の僧侶を置いている者(勝手に一角に座った僧侶とは別)、などなどいろんなタイプがいて好き好きにやっています。特に町を巡回して家々や商店を一つ一つ訪ねてお金の寄付を求めるのは日常的な風景なので、確認も何もせずにお金を渡しています。