アショーカ王と石柱碑文

2020/8月/21 マウリヤ朝の地図

今から約2300年前、紀元前300年ごろインドにはいくつもの国が存在、それを平定してインド大陸史上最初の帝国を立てたのがマウリヤ朝のアショーカ大王。戦争に明け暮れた大王はなんと帝国各地に平和を尊ぶ仏教を布教。慈悲の王として今も記憶されている。釈迦の実在に説得力を持たせたアショーカ王の人生と、彼が尊んだ仏法を確認する。

アショーカ王とマウリヤ朝の時代

仏教帝国を築いたアショーカ王が生きた時代は、実は釈迦が亡くなって既に200年以上経った頃です。アレクサンダー王の大遠征の残勢力がいたり、釈迦の教えをギリシャ語で書いて配置した地域があったりと、非常に興味深い時代です。まず下記に簡単な年表を書きます。

  • 紀元前500年ごろ:釈迦が生きた時代
  • 紀元前327年ごろ:アレキサンダー大王のインダス川流域侵攻
  • 紀元前317年ごろ:マウリヤ朝建国
  • 紀元前304年ごろ:アショーカ誕生
  • 紀元前268年ごろ:アショーカが王に即位
  • 紀元前260年ごろ:カリンガ国征服
  • 紀元前258年ごろ:仏法による統治を宣言
  • 紀元前232年ごろ:アショーカ死去

この時代、インドと言う国はまだ存在しておらず、インド大陸各地に強い勢力が並立していました。マウリヤ朝ができたのは紀元前317年ごろと言われ、アショーカ王のお爺さんがガンジス川流域(現バングラデシュ寄りの辺り)に興した王朝です。お爺さんの代からアショーカのお父さんの代になると、インダス川流域(インド西部)にいたアレクサンダー軍の残存勢力から土地を奪い取ったことで、ガンジス川からインダス川まで(現バングラデシュあたりからインド西部まで)の広大な領域を治めました。そしてアショーカが王になるとインド中部の制圧に乗り出し、即位後8年目にしてインド中部デカン高原の大国カリンガ国を破り、ほぼインド大陸全域(現パキスタン、アフガニスタン一部含むまで)を支配する王朝になりました。これによりマウリヤ朝はインド史上最初の巨大帝国と言われています。その巨大帝国にアショーカ王は仏教を広めていきました。

アショーカ王が仏教に傾倒した理由

インド中部のデカン高原を平定したいアショーカ王のマウリヤ朝と、待ち受けるカリンガ国の戦争は凄惨を極めました。カリンガ国は実はアショーカ王のお爺さんも制圧しようとしましたが撃退された過去があります。それでもマウリヤ朝のためにはいずれ排除したい存在でした。そしてアショーカ王の時も激しい抵抗に合い苦戦します。マウリヤ朝を盤石にしたいアショーカ王と、地元を絶対死守するカリンガ国は双方一歩も引かず泥沼の絶滅戦になり、あらゆる破壊と殺戮が何日も続いたと言われます。人々の尊敬を集めていた各宗教の高僧や知識人なども戦災に巻き込まれまさに死屍累々地獄の様相でした。双方おびただしい死者を出しながら約8年の戦役の後にアショーカ王は最終的に戦いに勝ちましたが、大破壊をもたらし数えきれない死者を出したことを後悔し、人が変わったようになっていました。

アショーカ王とダルマ(法)

ダルマは法を意味します。仏教のみに限定しませんがアショーカ王の信仰したダルマは仏教でした。カリンガ国との凄惨な戦いの前からすでに仏教徒であったとの説もありますが、カリンガ王国との8年がかりの戦争で多くの人々が犠牲になったことを悔いたアショーカ王は、この戦いの後からは本格的に仏教信仰を強めていきました。この世の権力を掌握し戦争に明け暮れたアショーカが最後に選んだのは釈迦の教えだったのです。暴君として恐れられたアショーカ王が人が変わったようになり、今度は釈迦の教え(仏法)を通じて如何に平和な社会秩序を定着させるかに腐心するようになりました。その象徴的な例がアショーカ王碑文と呼ばれる、釈迦の教えが書かれた石柱や石碑を彼が治めた帝国全土に配置したことです。このアショーカ王碑文はマウリヤ朝北西部(現在のパキスタンやアフガニスタンあたり)に残存していたと考えられているギリシャ系住民に向けてギリシャ語で書かれたものまで見つかっており、広範囲かつ徹底的に仏法を周知させ、万民が持つべき理念にしようとしていたことが伺えます。

アショーカ王碑文の内容

デリーの鉄柱 アショーカ王柱 アショーカ王の柱

アショーカ王の石柱には下記のような碑文が記されました。

  • 生き物を大切にし無駄に殺さないこと
  • 宗教対立しないこと
  • 親の言うことを良く聞くこと
  • 年上は敬うこと
  • 礼儀正しくすること
  • 嘘をつかないこと
  • 僧侶や精神的探求者に敬意を払うこと
  • 弱い者イジメしないこと

アショーカ王の石柱と釈迦生誕の地

平和な世界の実現のため、仏法を書いたアショーカ王の石柱はインド各所に配置されましたが、その中で現ネパールのルンビニで発見された石柱には彼が崇拝した釈迦の生誕の地と刻まれていました。釈迦が生きた時代はあまりにも昔のため、歴史学者たちは釈迦が実在した人物なのか、宗教で作られた人物なのか考えあぐねていましたが、釈迦生誕の地と書かれた石柱が発見されて以来、釈迦が実在したという説が一般的になりました。

暴君は世界史に数限りなくいますが、改心して弱者救済に尽力した統治者はそうそういないのではないでしょうか。しかもアショーカ王はインドに興った空前絶後の大帝国の大王だったのにです。

アショーカ王の石柱に刻まれた法は古来から人間の道義は不変であることを今に伝えていますね。2000年以上が経った今もアショーカ王の名は偉大なる慈悲の王として記憶され続けています。

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