インドのヒンドゥー教司祭は如何にして成るか
もともとインドの司祭はバラモン階級だけが成れる職業だったが、今は全てのカーストがなることを認められている。じゃないとたぶんこの宗教は支持者を大きく失う。いまはステップコース化された教習を修了することで誰でも司祭になれる。それはそれで伝統がすでに崩壊しているわけだけど。
ちなみにバラモンはインドのカースト序列1位の階級だったグループで人口は地域差がある。全インドでは人口の5%を占めると言われているが、インドの北西部(ウッタラカンダからジャンムまでのヒマラヤ沿い)では人口の10%近くがブラーミンだ。5%と10%だとだいぶ違うよね。南部や東部に行くと少ない地域もある。僧侶はパンディット、或いはプロヒトと呼ばれる。パンディットの意味はそのまま僧侶を意味する。プロヒトの意味は、プロ=正面、ヒト=据える、という意味で、正面に座す者というような意味になる。現代、僧侶になるための必要条件には以下のようなものがある- サンスクリット語を学ばねばならない
- 色んな祈りの言葉を覚えないといけない
- 聖典も暗記しなければならない
- 儀式の際の動作を覚えないといけない
- 儀式の執行者
- ヒンドゥー儀式で行う動作一つ一つの意味を熟知しないとならない
コース化されているとはいえ、相当な時間を要する。聖典や祈りの言葉、儀式の種類は無数にあるため。それで昔は僧侶になるためには幼少期から20歳半ばまで長い時間をかけて教習を受けていた。これはただ習得すれば良いというものではなく、司祭らしい生活態度も求められた。若者が関心を持つ娯楽は一切捨て、寺院で勉強というか住み込み。そこで僧侶になる人間として暮らす。ブラーミンなら誰しも僧侶であったわけではなく、このようにプロヒトになるにはあらゆる日常を放棄せねばならなかった。そういった面でブラーミンであっても僧侶を目指さない人々が大多数で、よって他の人が成りたがらないからたいていプロヒトの家系が親から子へ子から孫へと伝授されていた。修了しまたよ!ということを他の司祭や地域社会に認知されて初めてヒンドゥ儀式を執り行えるようになる。今も昔もバラモンなら誰でも儀式して!というわけではない。※ヒンドゥの日常的なお祈りは普通のバラモンでも他の階級でも誰でも行えるもので、それはプジャと呼ばれる別もの。逆に結婚とか特定の祭日などはバラモンでも僧侶を家に呼んで儀式をする。ただしバラモンは僧侶がいないときはある程度知識がある人が代行することもできる。