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ネパールのカースト制度・人種・苗字・階級・歴史をわかりやすく解説

ネパールでは苗字や人種で人の扱いを区別する制度が存在していました。一般的にカースト制度と呼ばれます。この記事では、ネパールのカースト制度の仕組み、歴史、現状まで徹底的に解説していきます。

アーリア人とは何か?

アーリア人と言ってもそもそもアーリアと言う国はありませんから、漠然としたイメージだけで整理が付かない人もいるのではないでしょうか。インド・アーリア人とか或いは、アーリアという言葉に第2次世界大戦中のナチスドイツの人種差別を思い浮かべる人もいるかもしれません。 18~19世紀ごろ西洋の学者達は、インドから欧州までの人々は全てインド・ヨーロッパ語族に属すアーリア人であると唱えました。やがてその学説はアーリア人至上主義となり、それ以外の人種を大量虐殺するドクトリンに変貌しました。この悪事により、ヨーロッパではアーリア人と言う言葉は何かファシスト的なニュアンスを含んだ言葉としてあまり使われなくなっています。しかし中東から南アジアの一帯ではアーリア人と言うのは身近な言葉であり、多くの人々が古代から今に至るまで自らをそう呼んできています。どうしてこれら二種類のアーリア人があるのでしょうか、早速みていきましょう。(タイトル画像はインドで特にアーリア人が信仰したヒンドゥー教で幸運を呼ぶシンボルとして親しまれていますが、角度を変えるとナチスドイツの逆卍マーク「ハーケンクロイツ」にも見えます。)

アーリア人の容姿

アーリア人とナチス

第2次世界大戦に負けるまでは、ナチス政党が率いるドイツは、「北欧のメラニン色素の薄い人々(肌の色・毛髪の色・瞳の色)を北方人種とし、その北方人種を至上とする思想ノルディック・イデオロギー」を取り入れ、北方人種こそがアーリア人の正当な血脈であると定めて北方主義(ノルディキズム)を展開、「彼らの定めた純血のアーリア人」以外の人種を支配或いは根絶することを国是としていました。同時にアーリア人の純血は守り増やすことを推奨していました。
  • ナチスが考えたアーリア人とは金髪碧眼、高身長であることでした。そしてその種を繁栄させることが人類のステップアップにつながると断定し、それこそが優生学であるとしていました。そうして必ずや新たな人種を創造すると掲げていたのです。
金髪碧眼の北方人種(ナチスの考える純血アーリア人)のなかでも特にドイツ人こそが純血で第一等の最優等人種であり、であるからドイツが世界の秩序を作らなければならない、と言って侵略的意図を正当化し国威発揚したのです。 第1次世界大戦の敗北により軍を失ったドイツは、急速に再軍備・軍備拡張をするだけでなく、軍を動かす兵隊一人一人にも強さを求め、その原動力として荘厳で強きアーリア人意識を持たせていったとも考えられます。
  • そしてヨーロッパで差別の対象にあったユダヤ人に批判の矛先を向けます。これによりユダヤ人迫害が組織化し、やがてホロコーストと呼ばれるユダヤ人を標的にした大量虐殺に至ります
  • それに加えドイツ国内にいたポーランド系やロシア系の人々も仮想敵国ソ連に関連する敵性外国人として迫害の対象としました。
  • さらに黒人・アジア人なども二流民族として蔑視の対象にしました。
この攻撃的な人種主義に、第1次世界大戦で敗北し誇りを打ち砕かれていたドイツ人たちは鼓舞されたような気持ちになり見事に扇動されてゆきました。この人種主義のスローガンの恐ろしいところは、国内をまとめるための政治的レトリックではなく、本当に標的にした敵を絶滅させ、彼らにとっての人種的クレンジングを達成しようとした狂気の理想論だったことです。ナチスはこれを「来るべき理想の国家(第三帝国)」と見ていたようです。
  • ですからドイツはユダヤ人を殲滅することを「ユダヤ人問題の最終的解決」としたり、
  • ソ連との戦いを「絶滅戦争」と表現していました。
結局ドイツは広大なソ連に深い入りしすぎて敗北しましたが。

アーリア至上主義の歴史の皮肉

ナチスが標榜した北欧的な容姿(ドイツはこれを最も純粋なアーリア人とした)を至上とする優生学は当然頓挫しましたが、好みの容姿にデザインするという人間の欲望自体は21世紀に入り遺伝子を操作した「デザイナーベビー」という形で達成されるようになっていくかもしれません。

アーリア人至上主義を掲げたナチスにより寺マークが風評被害?

寺のマークがナチスドイツのマークと似ているということで、外国人向けのマップには表示しないとする方針が日本で提案されたこともあります。実際には寺の卍(まんじ)はマークは逆向きですし、意味するところは人種主義ではなく「幸運を呼ぶ印」なのですが。

ゲルマン人とアーリア人

ナチスドイツはドイツ民族こそがアーリア人の正当な血筋であり、それこそが至上の人種であるということで、ドイツが敵視したユダヤ人とドイツの血統の婚姻を法で禁止し、これを「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」としました。同時に「帝国市民法」というドイツ系の血統や同種の血統(ナチス的金髪碧眼系アーリア人)だけがドイツ人国籍を取得でき、国政に参加できるとする法を公布しました。「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」と「帝国市民法」を合わせてニュルンベルク法とも言います。アーリア人至上主義がいよいよ法として施行されるようになりました。

イエス・キリストはアーリア人か?

ナチスドイツは聖書からユダヤ人が書いた部分は却下し、キリストはユダヤ人ではないとする「積極的キリスト教」を新たに展開しました。ヨーロッパ最大の宗教キリスト教を敵視するのは得策ではありませんし、インド・ヨーロッパ語族ということでキリストも中東生まれならアーリアになるし、ユダヤ人ではないと却下すればナチス的にはセーフだったようです。ちなみに画像は21世紀、最新の研究で出されただいたいのキリストの顔です。

名誉アーリア人

そんなドイツでしたが一方で強敵ソ連を滅ぼすために同盟国を必要としており、同盟国の中には日本も含まれていました。第一等人種であるはずのドイツアーリアが極東モンゴロイドの日本の力を借りるという状況です。そこでドイツはアーリア人優等説の整合性を保つために、日本人を「名誉アーリア人」という格付けにするなどご都合主義な面も見せています。名誉アーリア人ユダヤ人もいました。(専門職や気に入られて擁護されるケース)

アーリア人種と黄禍論

ドイツの変わり身の早さは、ドイツが日本人を名誉アーリア人とする以前の日本への蔑視からも窺い知れます。多くの国々を植民地化したヨーロッパでは白人が世界を支配する血統であるとした考え方がすでに醸成されていて、それ以外の人種の台頭に対して自分達の正当な繁栄を脅かすとして、当時力をつけてきていた日本とそして各国に移民を持っていた中国人を排除しようという論がありました。それが黄禍論と言い、日清戦争に勝利した日本に対して三国干渉をしたドイツは特に黄禍論を盛んに宣伝していた張本人であります。

アーリア至上主義で優秀な人材も流出

アインシュタインも脱ドイツ
ドイツのアーリア至上主義・民族浄化政策により、迫害を受けたユダヤ人は続々と欧州から逃れてゆきました。そのなかには優秀な科学者などもいました。天才アルベルト・アインシュタインもその一人でした。
英雄エルヴィン・ロンメルも暗殺
エルヴィン・ロンメルはドイツ軍の優秀な軍人で「砂漠の狐」と賞賛された英雄です。反ヒトラーに関与している疑惑がかけられ暗殺されました。これほどの英雄さえも死刑にするほど疑心暗鬼になっていた原因は、ナチス自身の方針によって多くの敵を作っていたからでしょう。とは言え、彼は暗殺計画については知っていたような周辺の言動もありますし、ナチス本部からのユダヤ人部隊捕虜殺害命令を拒否するなど、信条に背く命令には従わないところがありました。

アーリア人至上主義の終焉

ドイツによって遂行されたドイツ的アーリア人至上主義はナチスドイツの世界大戦敗北とともに終焉を迎えました。人種差別政策は第2次世界大戦敗北後は全責任をナチスに押し付ける形でピタリと終結したのです。アーリア人という言い方そのものがなくなり、ドイツではヒトラーが書いた「我が闘争」も出版が禁じられ、2016年になってようやく読めるようになったほど長きに渡り封印されていました。出版が再開されたのも、その目的は再びファシズムが台頭しないように、どういった経緯があったかを知り内省するためという徹底ぶりです。

アーリアン学説がヨーロッパに波及した発端

17世紀南アジアにも進出したヨーロッパ人たちはヒンドゥー圏で支配階級として君臨するアーリア人バラモン(通常毛髪が黒い)の存在を初めて知ります。彼らにとってはこれは「発見」でした。インドを支配したイギリスは、インドに既存した諸民族とシステム全般、人種ヒエラルキーなど、国全体を総合的に調査し研究していた時代です。そして18世紀、イギリスの言語学者ウィリアム・ジョーンズがインドのサンスクリット語とヨーロッパの言葉が類似していると言い出したのが『インド=ヨーロッパ=アーリア』観が展開されるきっかけとなりました。

―サンスクリットとヨーロッパ語では言語の最も基本的な構造となる"語順"が合わない点がありますし、それにサンスクリットのほうがより複雑な構造でした。さらにサンスクリット語はインドや東南アジア一体にも広がっているのですが

ともかくインド・ヨーロッパ語族という概念がヨーロッパで作られ、その言語を話すのがアーリア人となり、彼らはインドとヨーロッパの中間あたりから来たという設定になり、そのアーリア人が四散して色々な民族に派生していったということになっていきました。 ドイツはそこで、そのアーリアの中でも純血を保ち続けたのがドイツだと自認したのです。

アーリア人とインド・ヨーロッパ語族

世界を植民地にしたヨーロッパでは、地球規模で人類含む生物の研究が盛んになっていました。そのなかで19世紀欧州では人類には優劣があるとする人種不平等論や、ダーウィンの進化論、さらに欧州文明の起源探究などが関心を呼び、人々は科学の発展とともにこれまで神話のベールに包まれてきた複雑で禁断のテーマ、自分達が何者なのかという答えを欲していました。

アーリアン学説と政治的意図

インドのアーリア人支配層はカースト意識が強すぎて思い通りにできませんから、もともとは彼らインドの支配層アーリア人を懐柔するためにイギリスがアーリア人同一種であると知らしめる策を練ったとする説もあります。 あとからできたこの西洋産のアーリア人像は今度は元祖アーリア人達を逆感化し始め、インドやその周辺のアーリア系たちのなかには、自分達がほんとにヨーロッパ人と同じであるとまで考え出している者も少なくありません。

アーリア人とインド・イラン語派

中東イランから南アジアインドにかけての国々では、共通して自らをアーリア人と呼ぶ「民族性」があります。彼らはインド・イラン語を祖とすると考えられています。「派」というのはあくまでインド・ヨーロッパ語族を創作した側からの呼び方です。そういう言葉がヨーロッパでクリエイトされる以前から、中東イランから南アジアインドにかけての人々は自らをアーリア人と呼んできていました。
  • イランの国名は「アーリアの国」と言う意味だそうです。
  • ヒンズー圏の支配者であったアーリア系諸民族は自らをアーリア人種だと呼んでいます
  • タジキスタンでも、アーリアに由来した国と考える人々がいます

アーリアという言葉の意味

アーリアとは「至高の存在」といったニュアンスの言葉だそうです。自分達が選ばれた民であるという考え方です。実はこういった考え方は世界中の民族で見られることで、日本でも神の国と言っていったぐらいですし、ユダヤも神の民という思想がありますし、ようするに加減の問題ではないでしょうか。

アーリア人の特徴

アーリア人美人の容姿

このアーリア人達は瞳の色も多種多様、髪の色、髪質さまざまですが、顔つきはだいたい似ています。そして驚くべき共通点を備えています。それこそが、アーリア人美人は美人度がとてつもなく高く、美人の人口そのものも多いということです(^◇^;)。ところが人類のDNAには色んな交雑が確認できるうえ、時系列の把握にまでは至っていないようで、特定の「人種」を指し示すにはまだ根拠が乏しいようです。

アーリア民族の伝統

アーリア人の諸民族は伝統的に保守的な要素が強い気がします。名誉や血統を大変重んじ、結束が強く、ときにそれは傲慢なほど頑固に映ることもあります。また、男尊女卑とも感じうる社会の枠組みが色濃く残っている地域も多いのが特色ではないでしょうか。しかし同時に彼らは非常に陽気で温厚、知的でもあります。

インド・ヨーロッパ語族の否定

インドではヨーロッパ語とサンスクリット語の同祖論を否定する声もあります。インドのヒンドゥー主義者のなかには、インドヨーロッパ語族グループがインド北方の中央アジアをオリジンにするという考え方に対し、あたかもサンスクリット語が外来語であるようだとして否定している人々もいます。サンスクリットはインド原産のものであるという考え方です。

アーリア人侵略(移動説)の議論

インド・アーリア人という言葉はいろんな議論を生んでいます。どこか他の地からアーリア人が侵入したとか、侵略のイメージで語られていますが、そもそもアーリア人がインドに大移動してきたとする学説は本当なのか?という声も見られます。これまで無条件に西洋の学説のなかで議論するのが主流でしたが、西洋の学説そのものに疑問を投じる流れもでてきているのです。こういった謎を解明するためにDNA分布が非常に関心を集めています。しかしDNA検査ではテストする人数や範囲などで結果が偏りますし、また予想もしない結果がでることも多く、例えばあるアフリカ人のDNA検査をしたら北欧をオリジンにしていたとか、あるヨーロッパ人を調べたら中東をオリジンにしていたとか個人個人の見た目がランダムに変化していることもあり、見た目が似ているだけで、オリジンとする地域はかなり違うケースもあるようで、まだまだ総合的な解明には時間がかかると思われます。
以上、2つのアーリア人を紹介しましたが、これら二つのアーリア人は確かに容姿が大変似ています。髪の色や肌の色を統一すれば見分けの付かないケースもあるでしょう。彼らが同一かは分かりませんが、少なくとも他の人種よりは類縁にあるのかもしれません。