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ネパールはどんな国?

ネパール王国の歴史 領土を巡る戦史

ヒマラヤ山脈の山間部の環境を在りどころとするように、その山脈に沿ってへばりつくように伸びたネパール。
インドと中国という巨大な国の間では大変小さな領土に見える。

前置き~地理的要素~

現在のインドとネパールという国境で分けて考えると見落とすが、インドとネパールにまたがるヒマラヤ沿いの地帯を一つの、"山を利用した生活スタイルを基礎にした文化圏"とみてみよう。今の国境は後からそこにできたものだ。それは実際にインドからネパールへ続くヒマラヤ地帯を横断して見ればもっと実感できる。ヒマラヤの丘陵地帯は外敵から侵入されにくく、緑と水源が常に確保された山々という点で、大昔は平地より良い環境だったかもしれない。そして、ネパール王国の隆盛劇はまさにこの東西に伸びる山脈地帯の掌握にあけくれる。

ネパール国の前身 ゴルカ王国

今のネパールはネパール王国の領土をそのまま引き継いだ国だが、ネパール王国とはゴルカ王国のことである。
小国であったゴルカの王国がやがて周辺王国を次々と打ち滅ぼして統一し、ネパールという国境を作ったのである。


グルカ王国は王の死去によって後継者争いに陥り、亡国の危機に瀕していたが、マガール族の助力を得て生き延びた王子が後継者として王位に就くや運命は一変する。 ゴルカ王国は遠征につぐ遠征でネパールを統一、以降21世紀まで続く王国にまでなるのだ。


初期のゴルカ王国の根城

時は現在から250年ぐらい前、イギリスがインド支配に乗り出していた時代

もともとネパールには幾つもの王国があった。王国といっても、日本の一つの県ぐらいの大きさのサイズである。
そのころはネパールという国境もなく、ヒマラヤ山脈にはそれぞれの地域に幾つもの王国が存在していたのだが、そのうちの一つであるゴルカ地方の王国(以降ゴルカ王国)が東のマッラ王国(今のネパール中部のカトマンズ)に侵入する。

ゴルカ王国の進撃に危機を感じたマッラ王国は、当時インドまで到達していたイギリスに保護を求めるが、ゴルカ王国はイギリスの援軍も蹴散らしてマッラ王国を征服してしまった。
(ちなみに保護を求めるというのは、属国になるから保護してということ。)
宮廷文化を誇ったマッラ朝3都の一つパタン

しかもマッラ王国を制圧するやそのまま東進、今のネパール東国境を越えてシッキム王国のダージリン地方まで征服してしまう。紅茶で有名なあのダージリンである。

そこまで到達すると今度はゴルカ王国は西への遠征へと踵を返した。

ネパール チベットとの戦争

そうしてゴルカの西の深い山々に点在していた小さな国々を次々と併合しながら西に兵を進める最中、同時に北方の国チベットと交易で争いとなりチベット領内にも侵攻することに。

チベットでも健勝しそのまま領内に居座るが、チベットの宗主国である大清帝国が出てきて仲裁が入り、ネパール軍は撤退させられる。

だがチベットとの争いは再燃し、再びネパールがチベット領域に侵攻する。

清は今回はネパールに軍を送った。ネパールは西方の遠征部隊を呼び戻して首都防衛に当たらせようとしたが、清軍の勢いは早く、遠征部隊が返ってくる前にカトマンズに迫り来ていた。
恐れおののいたゴルカ王国はかつて蹴散らしたイギリスに保護を求める。イギリスはこれに答え援軍を出すのだが、それがたどり着いたときにはすでにゴルカ王国は清にひれ伏してしまっていた。

さて、大清帝国にひれ伏して許されてしまうと、ゴルカ王国は西方への遠征を再開する。そして現インドのウッタラカンダ地方にあった王国を征服してしまいヒマチャルプラデスにまで到達しようとしていた。

ネパール イギリスとのグルカ戦争


順風満帆の領土拡張であったが、ネパール南の国境タライでイギリスのあの東インド会社と国境線を巡って衝突し戦争になってしまう。この戦争はグルカ戦争と呼ばれる。
この戦争の結果ゴルカ王国はイギリスに敗北し、拡大していた領土は割譲され、現ネパールの広さだけが残った。かつてゴルカ王国がマッラ朝を攻め落とした時に蹴散らしたイギリスの援軍とは今回は装備が違った。
この戦争はグルカ戦争と呼ばれ、以降、ネパールはイギリスによる内政干渉も受けるようになる。

イギリス軍属ネパール人傭兵部隊グルカ兵 一般的にグルカ兵はモンゴロイドの部族たちがなる。

ところで戦争に勝ったイギリスはネパールの兵隊の資質に目を付けた。非常に使い易い兵隊であると戦時中から評価していたのだ。
そこでイギリスは打ち負かした相手であるネパールに傭兵を出すように頼んだのである。
ここにグルカ兵は始まった。
太平洋戦争時に日本軍もグルカ兵と交戦し、苦しめられている。絶望のインパール作戦で疫病と飢餓にさらされていた日本兵を待ち受けていたのは、勇敢で精強なグルカ兵部隊であった。 イギリス領インド帝国ではインド人を兵隊に使っていたがすぐに逃げ出す、ところがグルカ兵は大変勇敢であったという。そして、命令されたこと以外、何も考えない愚直さがあった。 グルカ兵を構成しているのは主に以下三つのモンゴロイド部族。

シッキム王国を崩壊させたネパール人

ちなみにグルカ戦争時、シッキム王国も機に乗じてダージリン奪還のためにネパールに進軍している。グルカ戦争の結果、ネパールはウッタラカンダの土地を失い、ダージリンもシッキムに返還させられた。この時シッキム王国はイギリス領インド帝国の保護下に入る。
ところがシッキム王国はのちにネパール人によって消滅させられている。
太平洋戦争が終結してほどなくしてインドはイギリスから独立、シッキム王国はインド領インド帝国の保護下から、インド共和国の保護下に移っていた。
このころすでに、山脈伝いにシッキムに移住していたネパール人達は代々子孫を増やし、なんとシッキムで人口マジョリティになってしまっていたのだ。ネパール系の人々は民主主義は多数決、遂にシッキムの議会を多数派として乗っ取り、国政をチェンジ。シッキム崩壊の道筋を立ててしまった。
反発したシッキム人との間で混乱が生じたところで、インドがシッキム保護のため介入しそのまま併合してしまったのである。1975年のことだった。
アメリカ人21歳の女子大生と再婚し王妃にしていたシッキムの王だったが、やむなく国を諦めて脱出・・・。

ネパール王国の終焉

ネパール統一したゴルカ王国はネパール王国として2008年まで続いていた。
その終焉は今も謎に包まれている。
国王とその家族が一堂に会して食事しているところ、何者かに全員が銃殺される事件が起きたのだ。
国王の弟とその息子が疑われたが結局真相はわからず仕舞い。
即位した弟は不人気で、抗議活動が活発化、ついに王を退位しネパール王国の歴史に幕を閉じたのだった。


・当時の国際情勢、すなわちチベットとその宗主国である大清帝国、そして列強であるイギリスの魂胆をよく理解し、絶妙なタイミングで修羅場を潜り抜けてきた。
・イギリスも大清帝国もネパールをきっかにして直接対決することは避けたかった。
・当時、ヒマラヤ山脈にいくつもあった国々のなかには、いわゆるギリシャのポリスのようなものもあったのではないだろうか。
・近代で言う国とはやや違った意識であったかもしれない。
・ポリス>藩>国
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